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今回のテーマ:「自創作に対する歪んだ愛情」
こんにちは、病夜魅 めんへ。と申します。
今日も皆さんお疲れ様でした。
歪みというのは、何かの反動に順応する為起きる現象の事を指す。
何が原因なのかは見当もつかない。原因を探るのも楽しそうだが、結果として残ったその「歪み」について語るのも同じくらい楽しいと思う。
今回は、自創作に対する(自分の認知する限りの)歪んだ愛情について語る事にする。
追い詰められた人間の足りない頭で絞り出した行動が愛おしい
きっと誰にも理解されないであろうが、自分の創作物には切っても切り離せない程、重要な要素の一つだ。
キャラクターの行動の末にある後悔や怨嗟等、どうしようもない感情に囚われてしまっている状態が自分は狂おしいほど好きなのだ。
自分の所有物の様に扱えてしまう、可哀想なキャラクター達には生きる上での苦しみを沢山味わってもらいたいし、苦しみをより深いものにする為の「ぬか喜びに浸る時間」も惜しみなく作る。
ところが、自分は感情移入を必要以上にしてしまう。
誰かが苦しんでいると、その苦しみが憑依したかの様に辛くなる。
そんな自分が、何故苦しんでいるであろうキャラクターに対し辛辣な事が出来るのだろうと疑問に思うであろう。
感情移入してしまう状況は、自分に近い人物や動物であればある程強く共感出来る。だが、キャラクター達に対してはまるでSNSを通じて著名人の発信を見ている感覚に近い。
すぐ近くに居る様で、心の距離が大分空いているのだ。
卑怯者の攻撃方法
自分は基本、間接的にキャラクターを苦しめている。
キャラクターのヘイトが自分ではなく、「キャラクターの存在する世界」という大きなスケールへ向く様に仕向けている。
自分も一昔前まで、世界を死ぬ程恨んでいた。
その頃の世界への一方的な恨みは、一人ではどうしようも出来ないものを必死に抱えようとした反動によるものだと考えている。
何をしているんだ、時間の無駄だろうと思う反面、その問題を一人で抱える事が出来ると信じて止まないその姿が過去の自分と重なって見え、愛おしく思えてしまうのだ。
創作だから、痛めつけていいと思っているのか?
別にそういった意味でこの記事は書いていない。
自分の感情の動きを模倣したのがキャラクターの人生そのものになっている。自分がまずキャラクター達に対し共感しなくては物語は動かない。
それが自分の作る創作だから、この形は崩したくないのだ。
この癖の強い話を初投稿からそんな話数を挟まずに公開した理由がある。
この「自創作に対する思い」これだけは絶対にブレたくないからだ。
この思いや感情を軸に自分の創作は成り立っている。感情と言うのは殆どの場合、一過性であり、時間が経てば忘れて薄れていく。その上で一貫性を持って自創作を制作するのは難しい。
だからこそ、先にこの思いを言語化し記事にして、読み返せばいつでも初心を思い出せる様にしたのだ。
最後に
こんな名無しクリエイターの戯言を最後まで聞いてくださりありがとうございました。この思いが爆発して社会に迷惑かける前に、作品へ封じ込めて皆さんの下に届くよう頑張ります。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それではまた別の記事で皆さんとお会いできるのを楽しみにしております。
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