他人と一緒に生きるということ

最近ひょんなことから、とある人に
「人と親しくなって一緒に生きるようになるとして、その他人の『陰』とも言える部分をも背負える自信があるか?」という質問をされました。

人は誰しもキラリと光る部分や順風満帆としか言いようのない時期もあれば、闇に葬られている過去があったり、とてつもなく辛い人生の局面に出会うこともあると思います。

人と親しくなればなるほど、その人のことをたくさん知りたくなるものだけど、『陰』のタイミングでその人が出会った/出会う感情を、理解しきることは多分できないんだと思います。
所詮他人の身に起こった/起こることだから。

まだちょっと他人との関係性に夢見てた頃の自分だったら、それでも他人事を自分ごとに考えようとして、他人を救えないことにやるせない気持ちになったり、自分を責めたりしていた気もします。

だけど他人と共に生きることやその意義を完全に諦めているわけでは毛頭ないです。
むしろ、中途半端に他人の人生を背負った気になるのではなく、自分も他人も自らの足で立った上で、一人で対処すべきことと、他人と対処できることを分けて考えていけるようになりたいなと思っています。

他人の身に起こることや、特に『陰』の部分を背負うことはできないとしても、それをその人がたった一人で経験するか、あるいは周りに手を差し伸べたりその人のことを気にかけたりする人がいるかで、その人の身に降りかかる重みについての感じ方が変わってくるんじゃないかなあ。
実際的に重みを背負うのはその人自身でも、誰かと一緒にいることで、重みが意識の外にいくこともあったらいいなあと思う。
それこそ人が人と一緒に生きる意味なんじゃないかなあ。

これが最近思ったことでした。