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役立たずか役足らず

生きていると、この役立たず!なんて思ったり思われたりする事がありますが、改めて考えると、勝手に "役" を期待しておいて、なんとも酷い話ですね。

ウマに念仏、ウサギに祝詞。足りていないのは能力なのか役なのか、というような雰囲気の雑談。

いちごとスプーン

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突然ですが、イチゴをどうやって食べるかといえば、洗って、ヘタ取って、それからパクッと......というのが主流ですよね。僕も今はそうして食べるのですが、小さい頃は牛乳と砂糖と一緒に深皿に入れて、スプーンで潰して食べていました。

昔のイチゴは今ほど甘くなく、甘さを補うためにそうして食べるのが主流だったそうで、僕はもう少し後の時代の子供でしたが、きっとそれ由来の食べ方なのでしょう。

ふと懐かしくなって試してみたのですが、これがどうにもイチゴが潰れない。そういえば当時は、イチゴスプーンという物を使っていたのでした。

それはスプーンの底が少し平たくなっていて、イチゴを象ったザラザラとした模様があしらわれているもので、子供の力でもイチゴをすり潰す事ができました。

イチゴの糖度が増し、砂糖と一緒に潰さなくても良くなった昨今。スプーンにしては、掬える量の少ないそれは "役" がなくなった故の役立たずとして消えていってしまうのだろうか、なんて寂しい気持ちになっていたのですが、離乳食作りや介護の現場ではまだ現役みたいです。

食事をすり潰して口に運ぶためのスプーン。しっかり適材適所で頑張っているみたいですね。

でくのぼう

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しかし適所もない、本当に役に立たない物については "でくのぼう" なんて呼ばれます。

"確かに、棒っきれが一本だけあってもな〜" なんてずっと思っていたのですが、なんと漢字で書くと "木偶の坊" なのですね。ずっと間違えて覚えていた!

木偶の坊、つまりは "木でできた偶像の坊や" ですが、コレは木製の操り人形を指すのだそうで、自分の力では手足も動かせず何もできない、人形みたいな存在、というところから来た言葉なのだとか。

そうなってくると、確かに言いたいことはわかりますが、人形が役に立たない物の代名詞だとは、なんたることでしょう!

ドールやぬいぐるみは子供たちの心の友達になり、カラクリ人形はお茶を運び、僕の机の上ではカオナシの人形が、心を癒してくれています。

では、不良品の類は別として "本当に役に立たない物" なんて、この世に存在するのでしょうか。

役に立つことを拒む機械

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大概の物は、どこかしらで必ず役に立つことができる気がしてきましたが、それは "その物" の持つ性質にふさわしい場所がどこなのか、ということなのでしょう。

であれば "役に立たない" ということ自体を性質としている物があったとすれば、それこそが本当に、役に立たない物になるわけで。

つまりそれは、こんな物。

スイッチを入れて、さて何をしてくれるかなと思えば、自分でスイッチを切る。死んでも(そしてある意味死んで)役に立ってなるものか!という強い意志を感じます。

機械は動物のように気まぐれではないので、起動すればその物の役割をちゃんと全うします。そして彼の役割は、自分を停止すること。この手の機構を持つ機械は、そのものずばり Useless Machine と呼ばれています。

ごく一部では Ultimate Machine とも呼ばれるらしいこの究極の役立たず。その姿はどこか誇らしげにも見えますね。

おわりに

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役に立たない物といえば、雑学もそれに分類されがちですね。自分でそんな感じの note を書いておいてアレですが。

昔から雑学的な物を本やネットで見かけては、意味もなくワクワクして過ごしてきたのですが、確かに何か人生の役に立っているかというと.....

まぁ、来世くらいには役に立つこともあるでしょう。と思ったところで、今日のところはスイッチオフ。

それでは!



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