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車みたいに走れたら

ある会社の新卒採用面接を受けに行くため降りた駅の改札を出てから、似た名前の隣駅と間違えたことに気がついた。

降りた電車はアポイントに間に合う最後の電車だった。

私は、遅刻がほぼ確実という危機的状況に追い込まれていた。


私はまず会社概要のアクセスを検索した。降りた駅からも、隣駅からより時間はかかるものの、徒歩で行けるらしかった。

次に地図アプリでルートと所要時間を確認した。

間に合うかどうかはギリギリの線だったが、少なくとも次の電車に乗るよりは望みがあった。

私は走ることに決めた。もうそれしかないと思った。

まず電話で連絡するという考えは、焦った私の頭にはなかった。


出だしは順調だった。

走るにつれ、望みは確信へと変わりつつあった。

高架に差し掛かったところで、音声ナビが「そこを左折です」と告げた。

その道は、高架下の自動車専用道へとつながっていた。

その道を歩け。アプリはそう示していた。


曲がれないその道を精一杯憎たらしく睨んで、私はまっすぐ走り始めた。それが遠回りになると知っていたが、そうするしかなかった。

アプリがルート表示を変え、所要時間がぐっと伸びた。

それを見ながら、私は、車みたいに走れたら――と思った。


もしも車みたいに走れたら――走りながら私は夢想した。

車みたいに走れたら、私は面接に間に合うだろう。

あわよくば内定が出て、就活を終えられるかもしれない。そして春からは、その会社で働くことになるのだ。

車みたいに走れたら、気になるあの娘のもとまで走っていけるだろう。

深夜に悲しみが襲い涙を流している彼女に寄り添えるかもしれない。そして私は、彼女のことをもっと好きになるのだ。


私は、車が欲しいのではなく、車みたいにすごい速さで走りたかった。

それは、自分が運転して専用道を飛ばしたいということでもなかった。

私は車になりたかったのだ。


大仰な言い方をすれば、私は力が欲しかった。

私は、私自身の力で何事かを為しうるような力だ。

それがあれば、自分だけでなく他の誰かも救い出せると思った。

のっぴきならない危機から。あるいは、号泣するほどの悲しみから。

「車になる」とは「ヒーローになる」ことと同義だった。

私は、ヒーローになりたかったのだ。

そんな馬鹿げたことを、私は本気で考えていた。


しかし実際の私は、自身の凡ミスのせいで無様に走っていた。

慣れない革靴を履いた足は草臥れてロクに上がらなくなってきていたし、呼吸も荒くなっていた。

真っ黒のスーツの下で肌が汗ばんで気持ち悪かった。

目的地は一向に見えてきてはいなかった。

面接には、もう間に合いそうになかった。


私はようやく会社に電話をかけた。

その声はやはり、情けないほどに震えていた。


【今回の一曲】

 PUNPEE/Hero(2017年)


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