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クソリプの足音

このあいだの話だ。

私は近所の喫茶店に入り、本を読んだり、文章を書いたりしようとしていた。徒歩圏内なのだから家に帰ってもいいのだが、家だとダラけてしまうからだ。

まあそんな私の根性のなさは、今はどうでもいい。


喫茶店といってもチェーンの店舗だ。最初に注文して席に運んでいくようなスタイルの。ベローチェだ。

ベローチェはが紅茶も220円からで大変に重宝する。

220円の紅茶には、ストレートティーとレモンティーがあって、それがメニュー表には並べて記載されている。だから「ティーを」なんていうと、「レモンをおつけしますか?」と訊かれる。


さて、このあいだのことだ。

私は「アイスのストレートティー」を注文した。

すると店員のお姉さんは「レモンはおつけしますか?」と訊いてきた。


分かっている。きっと彼女は「アイス」の「ティー」以外の部分を聞き漏らしたのだ。

だから上記の質問をした。そのことに憤っているわけじゃない。

問題は、その質問に対する私の返答だ。

私の注文は「ストレートティー」だ。だから、そのことを改めて彼女に丁寧に伝えればよいだけだ。端的に、レモンがいらないことを伝えればよい。それが彼女の問いへのシンプルな回答であり、また私の注文にも沿っているからだ。

しかし私は、「あ、ストレートです」と答えてしまった。


意地悪をしたかったわけではない。

だが、頭の中で「レモン」に焦点を絞った回答を用意する前に、反射的に口が「ストレート」を告げていたのだ。

果たして注文は通ったが、自分は嫌な客ではないだろうか? などと自意識過剰なことを考え、商品を受け取るまで気が気ではなかった。


先の回答に欠けていたのは、相手の質問を受け止め、それに対して応えるというプロセスである。

私の「ストレート」は、私の元の意思を反復したに過ぎない。

今回のことは、一回の注文という些細な出来事に過ぎない。

しかし、世のクソリプと呼ばれるものは、きっとこういう、自分の願望を唱えるだけの独りよがりな発話から始まるのではないだろうか。

リプライ先となるツイートの内容に応えるのではなく、自分の思いのままに何かを書き散らかし相手に送った場合に、それはクソリプになりうるのだ。


クソリプを生み出してしまう契機は、きっと日常生活のいろいろなところに潜んでいる。

上に記した、オーダーという「些細な出来事」みたいに。

そして、それをやらかしたとき、私は「クソリプの足音」を聞く。

クソリプの獣は、仲間に引き入れたそうにこちらを見ている。

その「足音」を聞こえなくなったとき、私は「クソリプおじさん」になっているのだろう。


【今回の一曲】

ニトロデイ/レモンド(2018年)


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