ショスタコーヴィチの交響曲第12番〜二月革命によせて


はじめに

 ショスタコーヴィチの交響曲第12番は、十月革命を主題としているうえ、共産党大会で演奏するために作曲されたこともあり、保身のために体制におもねった曲として語られることが多い。
 しかし、まともな楽曲紹介には書いてある通り、ショスタコーヴィチはレーニンに思い入れがあり、第二次大戦前からレーニンの交響曲を構想していた。彼が常々、自分はフィンランド駅に封鎖列車で到着したレーニンを多くの人々と共に迎えに行き、そこでの演説を聞いたと語っていたのが真実かどうかは定かでないようだが、少なくとも、母子家庭で豊かとは言えない境遇にあり、当時の多くのロシアの若い芸術家やインテリゲンチャがそうであったように、時代の閉塞感にもがいていた彼が、レーニンに大きな期待を抱いていたことを、無理に否定することはないだろう。

 そう思って聴くとこの曲は、ショスタコーヴィチが多く手がけた映画音楽のような描写的な音楽ではあり、確かに芸術的な深みという点ではやや他の作品に劣るかもしれないが、やはり時代の真実の一端を描いていたのではないかという気がしてならない。勝手な主観的解釈でしかないが、この曲の第一楽章で描かれた二月革命が始まった日を期に、ずっと妄想していることを書き留めておきたい。最後に、推しの演奏も紹介するつもり。

第一楽章 革命のペトログラード

 ムラヴィンスキーが、研ぎ澄まされた日本刀で敵を鮮やかに斬っていくかのような鋭さで、速射砲の砲声を描き出していく第一楽章の緊迫感。全強奏による頂点の次に、一拍の静寂がはっきりと「聞こえる」のがムラヴィンスキーの凄みだと思う。こうした映像が目の前に浮かんでくるような音楽は、もしかすると、映画館でサイレント映画のピアノ伴奏をアルバイトにしていたショスタコーヴィチの経験が生きているのかもしれない。

 この「革命のペトログラード」は、たまに間違える人がいるが、十月革命ではなく二月革命の時である。皇帝が打倒され、新政権ができるが、混沌とした雰囲気が残るまま第二楽章へ向かう。

第二楽章 ラズリーフ

 一転して、隠れ家ラズリーフでの悩めるレーニンを描く第二楽章こそが、ショスタコーヴィチがレーニンに寄せた思いをよく表していると感じる。ブルジョア民主主義革命であった二月革命の後、レーニンは直ちに社会主義革命に向かうのは無理だと考えていた。本来マルクスは、発達した資本主義国における諸条件があって初めて社会主義が実現できると考えており、レーニンもそれはよくわかっていた。ヨーロッパの中では遅れた農業国であった当時のロシアに、その条件はなかった。しかし、大戦からの離脱を始めとする、二月革命に対するロシア人民の期待がケレンスキー内閣によって裏切られた中で、ボリシェヴィキ党内からももう一段先へ進むことへの圧力が強まっていた。レーニンは苦悩する。

第三楽章 アウローラ

 ショスタコーヴィチは、第二楽章をレーニンの「決意」で終わらせない。レーニンは悩んだまま第三楽章へ移る。そこへ強い風が吹き、戦艦アウローラからの砲声が響く。もちろん実際には、夏の終わりにはレーニンは社会主義革命を決断しているのだが、もう一段への革命へと駒を進めたのは決してレーニン1人の力ではなく、大きな時代の流れであることが、ここでは示されていると思う。スターリンが自分を大きく見せるために描いた、「偉大な指導者」としてのレーニン像がここでは否定され、革命の主体は自分自身を含む大衆であったことを、ショスタコーヴィチは語っているように思えてならない。そしてそれは、「雪解け」後再び「指導者」たちの独裁による閉塞へ向かおうとしていたソ連政治に対して、暗に何かを言うことでもあったのではないかと思う。

第四楽章 人類の夜明け

 だから、第四楽章には、この陳腐極まりない副題があえて付けられているのではないか。
 この楽章の後半は、同じような展開が執拗に繰り返される。そこの音型に何か秘密があるとか、そういうことは専門家に解説をお願いするとして、そのしつこさに私は、「こうなるはずではなかったのか?」と党の指導部を問い詰めるショスタコーヴィチの姿を見る。描いた理想を裏切られた者の怒りを聞く。

私の好きな演奏

 まずはムラヴィンスキーが当然ながら絶対外せない。
 83年のこのライブは、第四楽章でムラヴィンスキーが楽譜のページをめくりそこなったせいで音楽が止まりかけるという事態が記録されており、以降彼がライブの録音録画を全て断るようになったという曰くつきの録画である。
 もちろん、第一楽章の切れ味などは健在である。問題の箇所も、ある意味では、指揮者と棒が乱れた通りにオーケストラも乱れるという統率の凄さを示しているようにも見える。

 演奏技術には時代を感じるものの、同時代作品を奏でる緊張感と、全力投球の熱気が作品の求めるそれとかみあって、とても印象的なのは、上田仁指揮東京交響楽団による日本初演ライブ。ボーナスで入っているインタビューで上田は、曲の印象を問われて、「よく書けています」と繰り返している。
 これはいまCDが品切れで、Youtube音源もないのが残念。

 指揮者もオーケストラも若さにあふれ、多少一本気ではあるものの、類まれな集中力が生み出すテンションの高さが、まさに「革命」を感じさせるのは、ベネズエラのテレサ・カレーニョ・ユース管弦楽団をドゥダメルが振った2009年の演奏。冒頭の弦のユニゾンから、人数が多いせいもあるとは言え、力強い響きに引き込まれる。かのシモン・ボリバール・ユース管と同じくエル・システマから生まれたオーケストラ。下記にある再生リストの、13番目から。音質が悪いのが残念。

 今日から11月までの半年を描いた交響曲について、無理矢理な語りをしました。最後までお付き合いいただいたみなさんに感謝を申し上げます。

(3/12追記)
 もう一つおすすめを忘れていました。コーカサス出身で旧東独で活動した指揮者オガン・ドゥリアンが残したごくわずかな正規録音のうち、マニアの間で語り伝えられてきたと言うゲヴァントハウス管との録音です。これはTwitterで教えていただきました。

以上です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?