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ご馳走の価値観

若輩者ではありますが

私、食べ歩きが趣味でして

InstagramやTwitterなどにも投稿しています。

今回は今まで食べ歩きをする中で

色んな場面を見たり、他の人の意見などを聞いたりする中で

一つ疑問というか自分なりに思った事について

考察?推察?妄想してみます。


そもそも【ご馳走】って言葉の意味は何だろうか?

今は調べれば答えが見つかるかも知れませんが

敢えて調べたりせず、自分の経験則を元に考えを綴ってみます。

私の考える【ご馳走】とは

字を見ると【馳せる】【走る】とあるように

思いを募らせ、走る事

すなわち、もてなす側としては

相手を思いながら、自分の足で支度を整える事のように思います。

そのおもてなしは主に料理となり

食材集めから調理法、場所や空間作りまで

全てを含めたものの様に思うし

経験は浅いですが、茶道に通ずるものがある様に感じます。

勿論、自分は調理出来なくとも

自分が探して信頼出来ると思ったお店にゲストを招待する事も

私はご馳走になると思います。


そして今度は受け取る側についての【ご馳走】とはどんなものか?

これに関しては自分の教養が足りないので、上手く表現出来ませんが

その相手の思いを汲み取れる教養と云うか、感覚と云うか

心構えなどが必要な様に思います。


又は誰とどこで食べるのか?

そう云った要素は特に重要なんじゃないかと思う。

【ご馳走】=【高級】では無く

ホスト側がその時出来る最大限の誠意やパフォーマンスが【ご馳走】であり

ゲスト側はそれをどこまで感じ取れるのか。

またどれだけ思いを馳せ、感謝の気持ちを持てた時に
それが【ご馳走】になるんじゃないかな。


例えば町中華でも家族との楽しい思い出と共に記憶に残る食事になれば

それはその人にとってのご馳走である。

そこに味の評価なんていう概念すら無いのかも知れないし

無くても良いと思う。

また、学生の彼がアルバイトで貯めたお金で

彼女を少し高級なレストランに招待する

これぞまさしく

彼からすれば最大限の【ご馳走】でもてなす心であり

彼女からすれば、最上級の【ご馳走】である。


私が今まで見たり聞いたりした中で

この上記の様な2例に対して

その町中華、そんなに美味しくないとか

そのレストランと同等金額で、もっと良い店あるとか

聞かれても無いのに、言っている人も居ました。

私からしたら

そんな他人の価値観を冒涜するような

了見の狭い人間は距離を置きたいし

自分は絶対にそんな事は言いたくないです。


話の方向が逸れそうですが

それこそ味についての感覚は

先ほど書いてるように、どこで誰と食べるかでも印象は変わる

また自分の体調によっても変化するものだと思う。

プロの方はそこら辺を加味したりコントロール出来るのかもしれないが

私にはその能力は無いかな。

しかし

私自身、InstagramやTwitterで味の感想を述べてはいますが

当然、味以外の全ての要素を含んだ上で

自分のimaginationを膨らませて投稿しています。

味に関しての議論で

本物はひとつだ!とか、コレは本物だ!とか

そういう言葉を使う時が過去にはあったカモですが

そもそも人の価値観なんで千差万別、本物の定義自体が違うかも知れない。

そう思う事もあるわけですよ。

僭越ながら田舎暮らしで決して裕福では無い自分ですが

食に興味があり、今まで自分の出来る範囲内で

色々なお店に行きましたが(連れて行って貰った事も含め)

都内や首都圏の有名店でも、自分に合わない時があったり

自分の教養では理解出来なかったりする事がありました。

でも、私はその時の自分の能力、舌を信じて

自身の感覚で判断してきたつもり。


だからなんなの?と言われればそれまでだけど

結局、価値観は人其々

自分の感性を大事にしたいと思う、今日この頃。


多くの知識や教養を身に着けている方が

大きな心で、人の価値観を自分なりに理解する事が出来るのが

一番素敵だと思いました。

続く…(可能性有)





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