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私は社会不安障害で創価学会3世

※ 創価学会の話が出てきますので苦手な方はスルーしてください。

高校の音読で社会不安障害を発症してしまい、本当は人と関わりたいのに関われない、生きづらさを抱えてきました。

そして、最近カミングアウトするようにしているんですが、私は創価学会3世です(以後、学会員と書きます)。

なぜカミングアウトするのかというと、

理由①
自分の抱えている社会不安障害という病は、「自己開示すること」が克服法のひとつとしてあるから

理由②
宗教のことをラフに語れる日本社会にしたい
批判されるより隠さなければならない雰囲気のほうが辛い

理由③
宗教2世、3世で同じような悩みがある人に「ひとりじゃない」と伝えたい

もしかしたら社会不安障害と学会員であることは関連している?
自分が住んでいる地域は田舎だったこともあり、学校にほとんど学会員がいなかったんですよね。
何となく、「創価学会のことは人には話してはいけない雰囲気」を子供ながらに感じ取っていました。

そして高校の音読で社会不安障害を発症。
人前でしゃべると声が震える。とてつもない恐怖感に襲われる。
国語の授業がある、前の日の晩からもう怖くて眠れない。

当時は「社会不安障害」という名前も症状も知らなかったので、自分は頭がおかしいんだ、と思うようになりました。
友達に話しても、みんな緊張するよ~と言うけど、
あなた達の緊張と私の緊張はレベルがちがうんだよ、、、と。

私は、「学会員である」ということ「社会不安障害である」という2つの隠し事をもって生きるようになりました。

学会員ともそうじゃない人ともわかりあえない

生まれた時から学会員なので、当たり前のように集まりに参加していました。
でも、納得のいかないこともたくさんありました。
納得いかない、理解ができないことのひとつに「選挙活動」がありました。

全然、政治とか興味ないのに、問答無用で公明党を応援させられるのが意味不明で、

過激なおばちゃんに、
「公明党を人に勧めて、票を入れてもらえると福運がつく(幸せになれる)」と言われたことにどうしても納得いかず、創価学会に対し拒否反応を示すようになってしまいました。

今となっては、そのおばちゃんがちょっと問題あったというだけなのは理解できるのですが、当時の私は、一度そういう嫌な目にあうと、組織全体が嫌になってしまうところがありました。

でも、学会の全てが嫌かというとそういうわけでもなくて、池田大作氏(学会員は池田先生と呼びます)のことは宗教とか関係なく尊敬してるし、
人の信仰体験を聞くのは、大好きでした。

そして、学会員の人は、暖かく、良い人ばかりでした。

それなのに、違和感を感じてしまう自分にひどく罪悪感を感じるようになり、いつもいつも「こう感じてしまう自分」を責めたり、どこかおかしいんだ、と思うようになりました。

創価学会員であることを伝えるとふられる

これについて語り始めると長くなるので短くまとめると、
数人に「創価学会員である」という理由で結婚を断られた経験があります。
普通の人みたいな交際ができない。

1年とか付き合って、真剣に結婚したいと思っていた相手から、ふられた時は流石に辛すぎて、
それ以降はなるべく傷を浅くするために、付き合ってすぐカミングアウトする。そしてすぐ破局。

職場では恋多き女と噂されるようになりました。

創価学会員であることを伝えると妙な雰囲気になる

友達に、悩みがあるなら聞くよ?と言われ、
そのことを話すと、妙な雰囲気になるんですよ。

いたたまれない雰囲気。それで誰にも話さなくなりました。

社会不安障害が悪化

人前でも人前でなくても、自分の考えていることを、人に話すことにとても苦手意識を感じるようになりました。

きっかけ

とある日、身近な人の大病が発覚しました。
今日、元気でいてくれることに感謝しなければ。
そんな状態で、ふと思い立ちました。
私、このままじゃ後悔するな。

転機

このまま悩みを抱えたまま毎日を過ごすのではなく、自分の思うように生きたい、と思うようになりました。
そんな時、オンラインサロンやSNSを通じて、社会不安障害を抱える全国の仲間と繋がることができました。
そして、そこでたくさんの気づきを得ることができました。

自分が悩んでいることは、ちっともおかしいことなんかじゃない。
自分が「こう感じる」という事実に、罪悪感を感じる必要なんてない。
近くにいなくても、どこかに必ず仲間がいる。
目的を達成するための手段は人の数だけある。どれが正しいとかって、ない。

結局は全部、自分だった


社会不安障害の仲間と繋がったことで、私はいかに、全てをこの病気のせいにしてきたか、反省しました。
恥ずかしながら太っていることもこの病気のせいだと思い込んでいて、仲間と知り合って全然関係ないことに驚愕しました。
本当にいろんな外見、性格、職業の人がいて、めちゃめちゃ明るい人もいれば、真面目そうな人、仲良くなれそうな人、ちょっと苦手な人。
なんだ、普通の世界と変わらないじゃん、と思いました。
そして、宗教に関しても全く同じことだと思いました。


なんで自分は学会から離れてしまったのかを見つめなおしてみた



一部の過激な学会員と意見が合わない=組織全体が無理 となってしまった
学会員であることをカミングアウトすることで、自分が傷つくことが怖い

創価学会、日本社会に対する自分の考えを羅列してみた

池田先生のことはめちゃくちゃ尊敬している。
日本全体が戦争モードだった時に、同調圧力に屈せず、自分の想い(世界平和)を貫き続けてきたすごい人。
組織のやり方に対し、正直どうかと思うことはたくさんあるし、全てに納得がいくわけではない。
でも、「人のために祈り、人のために行動する」組織であることに間違いない。
どうかと思う人もたくさんいるけど、尊敬できる人が多い、良い人が多い。
神頼みの、おすがり宗教ではない。
日本社会はおかしいんじゃないかと思う。
クリスマスにお祝いしたり、初詣したりは普通のこととして受け入れられているのに、
信仰を日常に取り入れ始めると、「キモイ」「怖い」扱いをされる。
創価学会であることをカミングアウトしている芸能人は、SNS上でひどいいじめにあっている。「ガッカイ」と呼ばれ差別を受けている。

色々思うところはあるけど、やっぱり私は学会の考えが好き

ここまで書いてみて、自分は創価学会が好きだなと感じました。
全部じゃないけど。
宗教とか関係なく、考え方が好き。
世界を平和にしたいという考え。
人の悩みを自分の悩みとしてとらえ、毎日祈って行動する、真っすぐな人々。
学会に対する批判的なムード、今後はなくなっていくと私は考えています。
なんとなくだけど、日本より海外のほうに広まって、海外から逆輸入みたいな感じで形を変えて、思想は引き継がれていくんだと思う。


なぜ活動を始めようとしているのか

長らく未活動(幽霊部員)でしたが、色々と思うところがありまた活動してみようと思っています。

それは、いつもいつも自分のことばかり考えるのに疲れた、という理由が大きいです。

活動をすることで、たくさんの人と繋がることができる。
人の悩みを聞くことができる。
人の悩みを自分の悩みととらえ、祈り、行動することができる。

ちょっとまとまりがなく長くなってしまったのでここで終わります。
読みづらい気がするのでまた後日編集するかもです。

最後までお付き合いくださりありがとうございます!
私の備忘録が、いつか少しでも誰かのヒントとかになれば幸いです。














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