あるちゃんのこと

あるちゃんは小学校の同級生。

病気で脚に麻痺があり、車椅子で生活していた。

あるちゃんとどのくらい仲がよかったか、覚えていない。でも彼女の車椅子を押していた記憶はあるし、彼女の車椅子が在学途中で赤の無地からおしゃれなチェック柄になったのも覚えている。そういえば家に呼ばれた気もする。そして卒業後、確か20歳手前くらいの時にSNSで再開して繋がっていた。

小学校の時のあるちゃんとの1番の思い出、それは直接あるちゃんと接した時のものではないのだった。

それは、確か小学校2年生くらいの七夕だった。みんなで願い事を書いたのだった。出席番号順に男女それぞれ紙に書いていって、後半だった私は何を書こうかあまり考えないまま女子用に用意された紙に向かった。そこには、

あるちゃんの足がよくなりますように

あるちゃんの足がよくなりますように

あるちゃんの足がよくなりますように

あるちゃんの足がよくなりますように

と様々な字で書き連ねてあった。私は、ちょっと考えて、あるちゃんの足がよくなりますように、と書いた。

先生や親は私達の友情にとても感激していた。最初に書いたのは誰なのだろうか、小学2年生の女子達はもうすでに大人びていて、同調する能力に長けていて、それに素直に感激する大人は純粋だった。もちろん、あるちゃんが私達と一緒に歩けたらと願っているし、本心なのだけど…自分の心から自然と「カンニング無しで」湧き出た願いなのかと自問自答して、少し息が詰まってしまう。そういう所を気にしすぎるから真面目すぎると言われてしまうのだけれど。

話を戻して時は進める。私達は卒業後、SNSで再会したのだった。彼女は色々な魅力的な趣味を持ち、彼女の近況を読むのが楽しみだった。しかしある日、ショッキングな記事を目にした。あるちゃんがクモ膜下出血で倒れたのだ。幸い健康状態は回復して、事後報告のブログだったのだけれど、小学校の時に見ていた色の白くて脚が弱いあるちゃんは私の記憶の中で今にも儚く消えてしまいそうな存在になっていった。その後しばらくして、あるちゃんも私もそのSNSを離れてしまった。

あるちゃんの事を思い出したのは、更に10数年後。手袋をはめた時だ(ここから先の名称は仮称で、もちろんあるちゃんも仮名なのだけれど、私がある日用品を身につけて彼女を思い出したと読んでもらいたい)。

20歳くらいの頃、あるちゃんは「てぶくろ」という劇団の裏方をしていた。それで思い出したのだった。あるちゃんは今何をしているんだろう。病気がちで儚げな、あるちゃん。あれから10年以上経っている。

「劇団 てぶくろ」を検索したら、既に活動終了していた。でも、10年前の日付でTwitterに劇団てぶくろについて書いている、あるちゃんらしいアカウントを見つけた。あるちゃんのアイコンを押せば最近のツイートも読める。でも、もし最終更新が10年前で止まってたら、私はどう思えばいいのか分からなかった。

しかし、それは全くの杞憂だった。あるちゃんはつい最近の更新でおすすめのコスメをレビューして、舞台俳優の方々に誕生日を祝われていた。色白で儚げなあるちゃんの記憶は、キラキラとした憧れるような女性にアップデートされたのだった。

あの時短冊に書いた文字はカンニングだったかもしれないけど、あるちゃんが元気でいて欲しいという思いは、やっぱりカンニングしたものではない。勇気を出して、久しぶり、と声をかけてみようかな。私の事、覚えているかな。

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