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赤ちゃんのいる生活

叔父第二シーズンが幕を開けてから1か月と2週間が経ちました。少し前まで赤ちゃんと一緒に暮らしていたので、その時のことをまとめます。


兄の育休中

まずは兄(赤ちゃんの父親であり、僕から見たら義理の兄)が育休を貰っている時。

基本的に僕は仕事に行かなければならず、仕事を終えて夕方ごろ家に帰っても姉と兄が赤ちゃんの面倒を見ているので特に何かすることはなく、ちょっと皿洗いしたりテレビを見たりしながらたまに赤ちゃんの様子を窺ったりするくらい。

夕方の平穏な時だと人がたくさんいても手持ち無沙汰になるなって思った。ただ、休日とかだと姉たちが昼ごはんを食べる間に赤ちゃんを抱っこしたりもしていたから、一息つくために交替できる人がいるっていうのは結構大事なのかもしれない。

親1人だとずっと子どもにつきっきりで押しつぶされてしまうだろうし、2人なら幾分かは肩の力が抜けるだろうけどどっちかは必ず子供の様子を見なければならなくて。でも、そこに3人目がいれば、僅かな時間だけでも親2人がくつろぐことができるから、時と場合によるだろうけど、人手があるってのは微力ながら助けになるはず。これは特に兄の育休が終わって人手が減った時に感じたこと。

兄の育休後

育休が終わると同時に、兄は仕事のために元々暮らしていた場所へと戻った。兄が居る時と居ない時のあいだに、1か月にも満たない育休で何ができるのかという気持ちと、どうしても暇を持て余す瞬間だってきっとあってそれが争いの種になったりもするのだろうかという気持ちと、何かあった時のためにやっぱり可能な限り最低2人は必要なのではないかという気持ちの三つ巴思考合戦が繰り広げられたのは言うまでもない。

人間の作り上げた社会のなんというかよさげに見えて脆弱な部分という、子供を産み育てる環境は果たして十分なのかという疑問だって湧き上がっている。

今こんなことを言ったとて仕方のないことなのでそれは置いといて。

家に居る人間は働くという用事のために家を空けているので、基本的に姉と赤ちゃんが2人きりで一日過ごさねばならない。やはり大人1人だとどうにもならない時もあるようで、ある時「ずっと泣いてて一日何も出来なかった」と姉が言っていたことがある。

他に赤ちゃんの面倒を見れる大人がいればこのような問題が起きても何とかなるのだろうけど、1人で面倒を見続けるというのはきっと途方もなく長い1日なのではないだろうか。少なくとも、ミルク・オムツ・ぐずり・寝かしつけがひっきりなしにやって来るのは相当疲れるはずである。

兄が育休を終えて元の住処に帰ってからというもの、仕事から一番早く帰って来る頻度が高いのは僕だったから、仕事から帰って皿洗いや洗濯物を取り込んだりした後に待っているのは赤ちゃんのお世話だった。

ミルクをあげたり、お風呂に入れる手伝いをしたり、しばらく抱っこしていたりなど。昨日やったけど今日もやって、今日もやったけど明日もやるべきことの中のたかが何時間かの手伝いではあったけれど、それでも正直きついと思う瞬間があった。命を失わないようにするためには気を張っていないといけないから、余裕を持つにもやはり人手は多い方が良いのである。

赤ちゃんのいる生活

長々と書いて来たけれど、何が言いたいかというと赤ちゃんのいる生活というのは縛りが多くてでも楽しいということである。

スマホのゲームも、テレビの録画も、ユーチューブも、自分ひとりだけなら集中して見れるけれど、その空間に赤ちゃんがいたら気にせずにはいられないし、泣けばテレビやゲームをしている場合ではなくなる。

命を育てるためには自分の生活の中の自由な時間を大幅に削るのは致し方ないことのように思う。

赤ちゃんのいる生活はとても重くて辛いこともたくさんあるだろうけど、赤ちゃんというのは意外にもたくさんの表情を見せてくれるから、その一挙手一投足が見逃せない非常に面白い存在なのだ。写真を撮ろうと思っても間に合わない瞬間だってあるから、定点カメラがあった方がいいかもしれない。

《番外編》
一番上の写真は赤ちゃんに小指を握られている写真。抱っこしていた時に眠りながら手を握ってくれたんだけど、赤ちゃんって結構握る力が強くてこんなに小さい体からこれほどの力が出るのかと握られたときはびっくりした。

見ているだけで温かい感情をたくさん抱けるんだから、すごい存在だよ赤ちゃんってのは。

読んでくれてありがとうございます。