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労働の狭間に

仕事をしていると1日があっという間に終わる。

朝起きて仕事をしたらもう夕方で、帰って食事家事入浴を済ませたら意外と自由に使える時間は無く、しかも仕事の疲れで寝落ちすることも多い。

特に最近は寝落ちすることが多くなってきて、「また寝落ちした」と逆に落ち込んだりもする。

約40年近く労働をしなければいけないわけだが、恐らく体感10〜20年なのだと思う。現段階で1日、1ヶ月、半年、1年の時の流れの速さに驚いているわけだから、10年、20年先になるとそれはそれはもっと毎日が早く終わっていくことだろう。

「果たしてこれでいいのか」と、私は思う。

仕事して帰って寝て、休みの日も何となく過ごして。もちろん何となく過ごすことも大事なのは承知の上だが、同じような日々を続けるのはとても退屈ではないか。

ところで、最近は学びたい欲が私の中で渦巻いている。それはもはや労働に対する確固たる抵抗とすら思えるくらい湧き上がっていて、自分の気になる事をガッツリ学べる自由さにも惹かれているのだろうけど、とにかく何かしら学んでいなければ自分のつまらなさと対峙してネガティブに飲み込まれかねなに。

だから最近は主に数学とフランス語の勉強をしていて、またロック画面の時計をデーバナーガリー数字にするなど、大きな学問としての学びから小さな日常での学びといった両方からの学びを試みている。

勉強したからといって自分が面白い人間になれるとは思わないけれど、自分が面白くないことを正面から受け入れられるほど私は強くないので、そんな苦痛から多少なりとも逃れるためにも勉強をしたいのである。

毎日少しずつでも勉強する生活を5年程続けた先には、もっと広い世界が広がっていて、なおかつ日常のより大切なものを取りこぼさないアンテナが育っているのではないかと思うし、そうあって欲しい。

だからこそ労働中心の生活を送るにあたって、その狭間で学び続けることを止めないで人生の幕を下ろすのが今の私の目標なのである。

読んでくれてありがとうございます。