言葉を背負った“めもるさん”の話。

相変わらず食欲がとどまることを知りません。
しかも秋ですから、スーパーに行けば美味しそうなブドウや柿、梨やりんごたちの、実に魅惑的な視線が訴えかけてきます。
誘惑に負けた私は大きな梨を2つ、我が家に迎え入れました。早速ひとつは私の胃の中に収まっています。
そして母に電話し、以前送ってもらって美味しかった栗きんとんをまた送って欲しいと発注してしまいました。明後日には、先日注文したおやき詰め合わせが届きます。太るなあと思う一方、ワクワクが止まりません。これも普通に食べられるようになったからこその楽しみです。
ちなみにあいぼうは春夏秋冬関係なく唐揚げ&カレー大好き芸人なので、旬の味覚とは一切縁がありません。

プレバトの俳句コーナーが好きで、時々見ています。先ほども見ていました。
兼題写真があって、そこから発想した情景や感情を17文字で表現するって、物凄く難しくて、でも面白くて奥深いものですよね。
夏井先生の講評を見て「なるほどそういう風に詠めば確かにもっと良くなるなー!」と毎回膝を打つのですが、これがいざ自分で詠もうとすると、なかなか出てこないのです。出す勇気がないと言った方が良いでしょうか。
アイコンやヘッダーの絵は自分で描いたもので、“めもる”としてデザフェスに出た事もありました。
一枚絵には基本的にあまり感情も想いも込めていません。キャラクターデザインとしてのめもるさんは造形もいたってシンプルですし、あらゆる意味で描きやすいです。
ただし、このめもるさんが言葉を背負うと、途端に難しくなりました。以前ホームページを更新していた時に初出しし、3冊の和綴じ本としても販売した、かるたが土台になっている【めもるのかるるるた】や、めもるさんの家族の日常を描いた4コマ漫画【めもる家の人々】も、続けていくに連れてだんだん「これは面白いんだろうか」と悩んだ記憶があります。
絵に物語を乗せるということは、自分の中身、感情の一部を曝け出す行為だと思うのです。只々自分が楽しいから描いていたという部分も勿論あります。自身が楽しめなければそもそも描けません。
でも描いて人目に触れる場所に出すということは、見てもらいたい欲があるからであって、自分の一部を見せて、どう受け取られるかが不安でもありました。
俳句や小説も同じです。自分がこう思った、こう表現したかったという思いを他人からどう見られるのか。
「自意識過剰では」と言われればそれまでですが、気になるものは気になるのです。

だから、プレバトで自作の俳句を出している芸能人の皆さんは本当に凄いなあと思います。
仕事だからやっているとはいえ、良い大人が思い思いに作った作品を、公衆の面前で学校の先生に叱られているようなものなのですから。特に梅沢さんの、ご自身の立ち位置を理解しているエンターテイナーとしての振る舞いには感服するばかりです。
私も早く、やると決めたからには口ばっかりではなく何か生み出したいです。

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