無限の月

 (本の感想)

 登場人物名が覚えられない私でも、中盤くらいにはすっと入り込めるようになった作品。理由としては、作品を通して語り手の一人称視点で書かれていて、それが、前の語り手を少し忘れその語り手の視点に没入し始めたくらいの間隔で交代するからだと思う。全ての語り手に少しずつ感情移入していて、特に、中学時代の張月と最も経験を共にしている感覚になった。この小説を通して、私も(擬似的に)人格を共有している50億人のうちの一人になっているということかもしれない。
 集合的人格を有する技術は、確かに現代の薄っぺらい相互理解よりも確実な理解に繋がり、個人の闘争の時代を終わらせ平和をもたらす。 このような結末では、脳をいじる技術を使っているからこの世界はディストピアだ!と、短絡的に言うのは憚られる。
 「このような考え方や人生もある」というのを経験の共有を通して知っていくのが、一人称視点の小説を読むということだ、と思う。カチューシャがない個人の時代に活きる私は、薄っぺらい相互理解論を掲げずに、小説を読んで多くの他人の人生を経験するということを続けたいと思った。小説よりも実用的文章を読む教育をしろ!という論はやはり私は支持できない。理解と逆行する動きだと思う。 カチューシャ、やっぱり必要なのかもって、これ以上思わせないでほしい。

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