暴力をやめたくない人たちの言い訳「伝統」

もともと宝塚に関心のない人にとってはすでに旧聞に属する話になっていると思うが、阪急の幹部やOGやファンが「とはいえ、伝統は残さないと」と言っている件。

母曰く、宝塚駅前から劇場まで延びる「花のみち」は、彼女の若い時代は、歩いていて華やかな気分になる実に素敵な通りだったという。劇場が改装され、同じく賑わいの要であったファミランや商店街が消えて*高層マンションが建ち、「風情がなくなった」と嘆いている。
宝塚の「伝統」って、そういうコミュニティの雰囲気のことではないのだろうか。

宝塚の舞台の完成度は不文律を含めた厳しい環境が支えている、なぜそのような「伝統」をつぶすようなことをするのか、時代の変化に全部流していいのか、と見直しに反対する意見に対してどう思うか、との質問に、東小雪さんは、「伝統をなくしてしまってはいけないとおっしゃっている方が指している伝統っていうのはどの部分なのかっていうことをお伺いしないとわからないですね」と答え、例として100年の歴史における宝塚の舞台作品の変化を挙げる。そして、「規律のことを言っているのだとしたら、私たち前後、おそらく10年から20年は同じようなハラスメントの経験があるんですけれども、60期生とか50期生とかもっと上級生の人たちは全然授業中に、ファミリーランドに遊びに行ってたわ、って言ってたり、そんなの全然なかった、っておっしゃる方もいらっしゃるんで、『伝統』って本当に、かぎかっこつきで、その『指導』の内容ももうバラバラ、10年とかのタームで変わっていますし、劇団の伝統もやっぱりあの時代に即したエンターテイメントの変化をしているので、伝統を変えるのはけしからん、ていうのはどの部分を指しているか聞いてみないとちょっとわからない感じがあります」と話している。(2020年9月16日放送「ポリタスTV」

音楽学校の授業サボってファミラン...。何それ楽しそう。

子どものときから高校生になる頃までファミラン(タカファミと呼ぶ世代もある)に遊びに行っていた私も、今、とくに阪急のエライ人が言っているところの「伝統」は本当に昔から良きものとされてきた無形文化とは別の何かなんだろうなとは思う。

実態ないのに日本スゴいプロパガンダのために作られた「江戸しぐさ」的な。

親たちが、残業を拒否する労働者やハラスメントを告発する人たちの姿勢に「昔はそんなこと言わなかった」と面白くない顔を隠さない理由のような。

*USJ開業等のあおりを受けてファミランが閉園したときは大変残念だったが、動物園がなくなったのは数少ないプラスの変化だったかもしれない。キリンが宝塚線の間から首をのぞかせているのはかなり気の毒だったので。

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