希望という名の信仰 Amanda Berry, Gina DeJesus他 "Hope: A Memoir of Survival in Cleveland"
2013年、クリーブランド。
10年間、スクールバスドライバーに監禁されていた女性たちが脱出、保護された。
ピューリッツァー賞受賞ジャーナリストの監修で書かれた、そのうち2人の女性の手記。
どこから話してよいか分からないぐらい、「アメリカ社会」が詰まっている。
サバイバー(彼女たちは「私たちは被害者ではない。サバイバーだ」と言っている)とその家族がしっかり顔を出して声を上げていること。*
その受け皿もあること。
たとえば日本だったら、人目につかないように、まるで自分が悪いみたいに暮らしている被害者が多いのでは。性犯罪被害ならなおさら。
支援金集めから家のリモデルまで、惜しみなく被害者、被害者家族の支援をする人たちがたくさんいること。
また、被害者を助ける方法が確立されていること。
3人のサバイバーのうち、この本には関わっていないミシェルは、行方不明になったことすら世間に知られず、解放後も待っている家族がいなかった。
そこで、搬送された病院ではアマンダ、ジーナに家族がつく中、ミシェルにはイボンヌ・ポインターが話し相手になった。1984年に娘を殺害されて以来、暴力の被害者を救済するアクティビストになったという女性だ。こういう手配が組織的に行われている。
南米出身者のコミュニティに引き継がれ続ける貧乏、早婚、暴力。
アマンダの家庭もジーナの家庭も、温かい家族がいるだけ恵まれているものの、突破口の見えない貧乏だった。特にアマンダの母親は善人だが、酒、タバコに溺れて身を持ち崩すというテンプレ。
加害者の家族環境も劣悪で、元奥さんがひどい暴力を受けながら逃げようとしないのは、教育をほとんど受けていない自尊心低い人あるあるで胸が痛む。
本書には彼女たちを救ったhopeという言葉が何度も出てくるが、それはfaithとも言い換えられる。
絶対の良き力、神に対するアマンダとジーナの信仰がなければ10年も耐えられなかったはずだ。
エピローグでアマンダは「神に感謝する。何故自分だったのかはまだ分からないけれど」、ジーナは「神との間が近くなった」と言っている。(加害者も一応クリスチャンだったのは皮肉すぎるが)
人は諦めに支配されると、あっという間に薄汚くなる。
けれども解放された2人の笑顔のなんと明るいことか。
さらにこれは彼女たちだけでなく、その家族たちのfaithの闘いでもある。
アマンダの母親とジーナの母親。
共に娘を愛し、彼女たちが戻ってくることを信じた。
けれどもアマンダの母親は、闘いに負け、体を壊してしまう。
何よりも私が怒りを感じたのは、自称霊媒師シルビア・ブラウンというサタンだ。日本で言うなら細木数子とか、江原啓之(名前が思い出せず、「太った霊媒師」と検索したら一発で出た)といったところだろうか。私はテレビを持っていないので知らなかったがかなり知られていた人らしく、アマンダと母親は彼女の出演番組The Montel William Showを楽しみに見ていたという。
その番組に、母親が出演してしまったのだ。監禁された家でそれを見たアマンダの日記。
… アマンダの予想どおり、母親は信じ続けることができなくなり、病に倒れた。アマンダは母親の死をテレビで知った。
ああ、腹の立つ。
(シルビアは、アマンダたちが助け出された半年後に死去している)
一方、ジーナの母親は、行方不明の子どもたちを探す基金にボランティアとして参加し、勢力的に活動を続けた。テレビや球場のスクリーン、wantedを広告できるところにはどこにでも出かけて行った。ジーナのために預金口座を開き、毎月入金した(← これこそ信仰のふるまい)。信じ続けた。
そして、10年後、ついに娘との再会を果たすことができたのだった。
他にも監禁生活の中で母親になったアマンダの強さ、加害者との奇妙な疑似家族など、特筆すべきことがたくさんある。
また書き足していこうと思う。
この本で私が新しく覚えた言葉はvigilだ。
*アメリカでいつも驚くのは、「癒えるには時間がかかる」「思い出したくない」と言いながら、傷を受けた人や遺族などが書いた本が出るのがすごく早いことだ。もちろん記録を残すのは早いほうがよいので、執筆を励ますジャーナリストの手腕だろうか。
もう1人のサバイバー、ミシェルも別に回想記を出している。彼女は、誘拐された時点で母親だったこと、誰にも探されなかったことが他の2人と異なる。
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