気がつくまではここにいるね

あの人としたはじめまして、の記憶がおもしろいほどすっぽりない私は、上京祝いとお詫びを兼ねて、銀色のカンカンがとってもかわいいお香を買った。おぼろげな記憶を頼りにして選んだ香りはウッディなやつ。大変失礼な自覚はあるけど、なんと顔も覚えてなかった。ただ、ものすごくいい匂いだった事と、女の子なんだから気をつけなきゃと、わりとシッカリめに注意してくれた事、はなんとなく覚えてる。なんとなくしか覚えてないの、ヤバい。申し訳ないことをした。もう2度と会わないだろうし、贈るのは消えモノがいい。そう思って選んだお香のお土産を渡した日に、私たちは次の約束をした。

なんだか、私って馬鹿みたいでさ。
自由ヶ丘のインテリアショップで鉢植えを買って、居酒屋で今度ここ行こうねなんてGoogleマップをピン留めして、手を繋いで帰って、コンビニで買ったピノをひとつだけ分けてもらったりしてる夜は、家の中でしょっちゅう携帯をなくす私のために私の携帯に電話をかけてくれる、そんな夜は、そんな夜が訪れる私は、私だけのための家で、ヒノキが薫るあの部屋で、なくなることが失うことが傷つくことが怖くてベソベソ泣いてる。
いつか私たち、おんなじように改札の人混みを掻き分けて、おんなじような顔するのかな。昔の私みたいに、もしかしたら今の私みたいに、目の奥で泣いたり、媚びたり、するのかな。忙しくなるのかな。お互いに。どっちかだけじゃなくて、お互いに。

東京にきて速攻、私みたいなのに捕まって。休日を私で終わらせちゃって。あのさぁ凄いんだよ、東京って。いろんな人がいるんだよ、本当に本当にいろんな人が。ね、ていうか、いろんな人に会うんでしょ、これから。私は全然ちっぽけで、私がたまたまいただけなんだよ、その時いただけ。それにいつ気づくのかな。だから私はちゃんと言ってるでしょ。私は私を好きじゃないって、言ってるでしょ。申し訳ないなって、ちゃんと思ってるよ。
ぐちゃぐちゃの私を構うあなたはきっと底なしのいい人かまたはきっと底なしのバカで、うちのコの輝かしい未来をジャマしないで ってあなたのママにきっと叱られる。

平日の夜、突発的に最寄り駅に押しかけて改札まで迎えにきてもらった私は、なるべくゆっくり歩く。酩酊してぼやける脳みそを、感覚を、全力で研ぎ澄ませる。おとついサァ、っていった後に、あれコッチっておととい?って言う声を。私の手をまるっと包む、大きな手を、波打つ爪を、手のひらの厚い皮を。くまなく拾う。
私よりもはるかに可愛い顔立ちにつく、ぷくぷくとした涙袋。奥で小鹿のような黒目がつややかに光り、私をみる。いい匂いなのは本人だけじゃない。家そのものにその人の匂いが満ちてて、そこに少しだけ、私のお詫びのにおいがある。
このことを知ってるのは、東京でまだ、私だけ。ほんの少しでも、それが長く続けばいい。

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