悲しかったことを悲しいと思わなくなることが悲しい

あんまりにもあっさりと剥がれたものだから、なんだか間抜けで笑いが漏れた。

畳んだベッドカバーを棚に入れようとしただけでジェルネイルが剥がれた。とてつもなく、あっさりと。マルっと剥がれた爪の抜け殻は1枚レイヤーを余分に持ってったみたいで、撫でる指の腹にザリザリと感触を残す。洗い物の時、ゴム手袋をつけなきゃなあ。ウニウニしてて苦手なのに。でも、つける。しょうがない。だって薄い爪、割れやすいんだもん。なんで幸せそうな女は揃いも揃ってふっくらとした白い手に桃色の爪がついてんだ。しょっちゅう何かしらにぶつけて火傷して水で冷やしてる私の手は、所々に傷跡があってやけに骨ぼねしい私の手は、今ダメ押しのようにネイルが2つも抜け落ちてる。なんというか、売れ残り、大特価20%引き!って感じじゃん。これ以上幸薄そうな女の手に進化するのは、どう考えたって避けたい。

すれ違う恋人たちや、惰性で見に行く友達のDJ、魔法とフリルとトキメキがふんだんに散りばめられた漫画、掃除機を持ってないくせに毛足の長い絨毯を敷く男の部屋、五反田駅の山手線と池上線の終電の乗り換え、は今を生きてる私からおそらく一生離れないものだと思ってた。
体の一部かのように癒着していたくせにあっさりと剥がれてしまうことがあるなんて知らなかった。私は、こんなに1人でどこにでも行けてしまうことなんて知らなかった。

せっかく昼から飲んでるのに、地下の中華料理屋で串を焼く。
4人がけのテーブルには私と、私の友達が座っていた。
八角、山査子、山椒、唐辛子。焼けた肉をぶち込むのは目に痛いほどの赤い粉末。つければつけるだけ幸福になる気がした。大きく舟を漕ぐ私に気づいた友達が私に話しかける。ねぇ大丈夫?眠いの?疲れてたのかな、ちょっと眠る? 間違いなくこの瞬間だけ、私は大きな赤ちゃんであって、柔らかくて大きなママの柔肌に身を委ねていい。街中にある素敵なものにカメラを向ける彼女たちは魔法使いだ。一緒にいるだけで世界がキラキラ、チカチカ。私が、眠りの海に小さな気泡をあげながらゆっくりと沈んでいく中、彼女たちはさざめくように話す。絶え間なく言葉を紡ぐ。心地いい独特の抑揚が、ちろちろと耳を撫でる。ポケットの中の携帯が滅多に来ない連絡に体を震わせた。こんやいえいっていい?

ネイルもブリーチもまつげパーマも、友達も恋人も私自身も、今!今この瞬間が最高!っていうのは瞬く間に過ぎてって、後は劣化の一途をたどる。物事の輝きはいつも、アッという間に過ぎてしまう。悲しいくらいあっさり。ベロベロの私のそばに置かれた未開封の水とか、遠方のフォロワーがくれたぬいぐるみの方が、ずっとよっぽど私に親切だった。

返却期限をぶっちぎった図書館の本、冷凍ブルーベリーを食べてまばらに染まった紫の唇、作業椅子に体を折りたたんで小さな体育座りをする私はaikoを聴きながらペディキュアを変える。
物心つく前から私と一緒にいるバカでかい冷蔵庫は1人暮らしの部屋に居心地悪く鎮座して、悲しいくらい空っぽだった。

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