アラフィフ、一歩踏みだした先は「子供の頃の夢のど真ん中」
PCオンラインゲーム業界に入ったのは18年前。最初はイベントを考えるサービス企画、その後コミュニティや広告システムなど、プラットフォーム機能の企画担当。そしてプロジェクトマネジメントの業務が多かった。
新規事業の企画担当や経営企画室で社内DXプロジェクトのプロジェクトマネジメントもやった。プランナーとしては結構色々とやらせてもらったと思う。
子供の頃の夢、3つありました。全部クリエイティブ系ですね。
宇宙船のエンジニア(宇宙戦艦ヤマトや宇宙大作戦のエンタープライズ号、キャプテンフューチャーのコメット号あたりがお気に入りだった)
建築家(間取りを見るのが大好き、障子やタイルを見ては間取り図を考えていた)
ゲームを作る人(FM-7を買ってもらってマイコンBASICマガジンに投稿してた。1回載ったの嬉しかったなー)
そして建築家を目指していた高校生〜大学院時代
大学は建築学科へ進学。そして大学院。このまま卒業して建築の道へ進むのだと思っていた。けど22歳の時に病気が発覚して、そこから入退院の日々、直るのに6年半、29歳になってた。体力はボロボロだったから、あんまり覚えていないけど体力勝負な側面もある建築業界へ行くのは怖かった。
だけど端っこには居たくて建築・インテリア系の専門学校の非常勤講師をやりながらWEBやCGのフリーランスへ。このままでも良いかなって日々すごしていたけど、徐々に体力も戻り、当時35歳転職限界説もあったので、その前に初正社員を目指して頑張ってみる。
35歳前にゲーム会社に入れた
PCオンラインゲーム業界に入ったのは18年前。34歳で初正社員は運が良かったと今でも思っている。
ゲーム会社に入れたときから頭の片隅にずっと「俺が考えたゲームをリリースしたい」って思っていた。一度は作ってみたい。だから社内ゲームアイデアコンペのときは全力で挑んでた。最優秀獲得したけど開発には至らず。
アラフィフ、一歩、踏みだしてみた
ゲームを企画を提案して役員プレゼンで承認してもらって、開発予算を獲得して、そこからチームを作って進めるのは大変です。ホントかなりのパワーと時間が必要。魂削る比喩は正しいと思う。
そして私の業務は経営企画系な仕事。これはこれで結構重たい仕事。
そんな私がフト言っちゃった。2021年12月に言っちゃった。「ゲーム提案していい?」と。(細かい背景は割愛)、「提案いいよ」と取締役からの返事。もちろん経営企画な仕事もやる前提でね。
で企画が通って、予算も獲得(周辺の人は結構ビックリな話し)
今はプロトタイプ制作の段階、1回目の役員達へのプレゼン&合否判定は合格、ゲームのコアメカニクスに可能性はある。という話し。30分程度の予定が90分も色々と触って頂き大量のフィードバック。
アラフィフ、一歩踏みだした先は「子供の頃の夢のど真ん中」まだまだリリースまでは遠く、途中でプロジェクト中止の可能性もあるけど、すべて突破して世界中の人に遊んでもらいたい。
電車の中で、フト横をみると見知らぬ人が私のゲームで遊んでいる。という経験を夢見てる。
アレとソレを組合せてみたらコノ課題を解決できるソリューションができるよね?と言うパズルをやるような思考回路です。サポートして頂いた費用は、プロジェクト関連の書籍購入やセミナー参加の資金にします。