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進展型小細胞肺がんの進攻/コオロギ編

家族はいない。親族はいるし、家族っちゃ家族なのかもしれないが(入院するという事は、やれ保証人だなんだと、この辺りの自分の事情を問い詰める作業でもある)、自分には基本家族がいない事にしている。

前回『進展型小細胞肺がんの進攻/まだ目は醒めた編』
https://note.com/memo8/n/n891432210727

家族などいないまま、死んでいきたい。消えるように、死んでいきたい。ここ数年の自分の希望なのだ。が、これを具体的に実行しようとすると、かなり、難しい事に気付く。

昨年、西部邁が、弟子に手伝わせて自殺したが、あれはまったく駄目。弟子を犯罪者にしそうになって超カッコ悪かった。自分の力だけで綺麗に消えていけ。そう思う。

まずは、自殺の方法。次いでは、資産・負債の発生とその始末方法。前者の自殺方法については、肺ガンナーになってしまった事で、逆に、本当に実行する可能性がゼロではなくなった事もあり、ここではまだ触れない(内緒だ)。後者の資産・負債の発生問題。資産を大量に残せる人間は問題ないだろうが、負債しか残せない(少なくともトータルでは)自分のような人間に取っては、この始末をどうするかが凄く難しいのだ。

自分は今賃貸マンションに住んでいる。貯金や有価証券的な資産はほぼゼロ。もし数日後に、計らずも自殺ではなく、別に肺がんでなくともいい交通事故か何かで死んでしまったら、どうなるか。不動産屋への連絡と、賃貸契約の破棄を含め、何も準備していないのだから、へたすれば、自分の死が知られるのが何ヶ月も先になり、その間の家賃は当然積み重ねられ、さらには、ろくな資産にはならない癖に場所だけは取っている古い本やらCD・DVD・レコードやら、ハードディスクの情報消去処理が面倒で、あえて廃棄せず部屋の片隅に積み上げているここ30年近い間の全PC群やら、そういうガラクタは(貸主と不動産屋から見たら)すべて負債にしかならない。

肺ガンナー(何となくこの表現気にいってしまったので、しばらく使い続ける)になってしまった事は、この点ではラッキーだった。放っておけば、負債にしかならないガラクタを、生きているうちに、わずかでも自分で資産に変えておく事が出来る。

繰り返すが、おれは家族はいない。

ひとりぼっちで死んで
コオロギのようになり
からからになって
からっ風に飛ばされようか

この一連の文章を書き始めてから、随分と励まされた。曰く「貴方ならがんに勝てる」「貴方が生きられるよう応援する」。メールやら何やらを見て、涙もろい自分は号泣する。ありがとうございます。励まされます。がんばります。

が、ここで、もうひとつ、おれのラッキーがある。おれには家族はいないのだ。少なくとも扶養家族はいない。おれが今死んでも露頭に迷う者はこの世に存在しない。つまり、おれは別にがんばって生き残らなくてもいいのだよ。

励ましてくれる貴方を前にして、がんばりますと涙ながらに返しながら、同時に、自分にはもうがんばって生きる必要はないのだ、別に今すぐ死んだっていいのだというプランBが、いつだって、目の前に存在しているのだ。

進展型小細胞肺がんの進攻/スーパーマーケット編
https://note.com/memo8/n/n1955d3c1b76c




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