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学校に行きたくなかったら、行かなくていいよ。

次男が小学5年、6年のころ、学校でいじめがありました。

ひとりのいじめっ子が親玉になっていたので、被害を受けていた子はたくさんいて、お母さん方の話題にも上っていました。地方から東京に引っ越してきて、正義感が強かった次男は、その子に立ち向かったために、いじめのターゲットにされました。

担任の先生にも相談しましたが、いじめっ子が家で虐待を受けていることから、その子も被害者である、ということ、そして、被害にあうようなら、学校を休ませてください、と言われたのです。先方の親に会って話がしたいと訴えましたが、話してわかるような相手ではないし、むしろ、息子が報復を受ける可能性があるのでやめたほうがいいと言うのです。

夫の転勤で、長男も次男も、小学生時代の大半を地方で過ごしてきました。東京にくらべて、子どもたちも先生も親もみな大らかで、子どもたちは楽しい学校生活を送っていました。また、正義が勝つ世界で、自分が正しいなら逃げずに戦えば、周囲も先生も親たちも応援してくれるという風土が、どの土地にもありました。3世代同居も多く、叱ってくれる老人もそこかしこにいました。

そんな中で、のほほんと暮らしてきた、次男も私も、東京の小学校の担任の先生の言うことが理解できませんでした。どうして、悪くない方が休ませられなければいけなんだと憤慨しました。

そうして、息子には、負けるな、頑張れ、と言いました。息子は歯を食いしばって学校に行きました

でも、今思います。それは、間違っていました。そんないじめっ子と戦う必要は全くなかったのです。さっさと転校させればよかった。いじめられるくらいなら、学校なんか行く必要がなかった

卒業アルバムを捨ててくれと言った息子

息子は、結局、その学校をいじめっ子と一緒に卒業しました。私立中学に入学し、それ以降は、一切、小学校との縁を自分で切りました。卒業アルバムも受け取らず、電話をかけてきた担任に、自分で「いらないので、捨ててください」と言いました。

息子は、一人孤立していたわけではなく、仲の良い仲間もたくさんいました。それでも、卒業アルバムを捨ててくれ、というくらい学校が嫌だったのです。その気持ちを私は十分に汲んでやることができなかった。

今、息子は社会人です。その後の学校生活で困ったことはありませんでした。もう、すっかり、子育ても終わりました。でも、親なのに、息子を守れなかった、息子の気持ちをわかってやれなかったという後悔の気持ちはずっとぬぐうことができません

ライターの仕事をするようになってから、私は、いじめが原因で子どもを亡くされたお母さんや、不登校を経験された方、専門家の話などを聞く機会に何度も恵まれました。不登校には、いじめなどの原因がないこともありますが、学校に行きたくない子どもを、無理に学校に行かせることが、どんなに子どもに負担を強いることなのかを、知りました。そして、学校に行ってほしいというのは、親の見栄だったんじゃないか、自分が安心したかっただけではないのか、私は子どもを追いつめていたのではないかと、いまでも思うのです。どうして、学校なんかいかなくていいよと言ってやれなかったのだろうと、いまも思うのです。

これまでの子育ては、失敗の連続で、私は、ちっともいい母親ではありませんでした。息子たちには、教えられることばかりで本当に今でも申し訳なかったと思っています。

だからこそ、いまの子どもたちには言いたい。

学校に行きたくない君は、行かなくていいよ

今年は、夏休みの終わるのが早く、すでに新学期が始まっている学校も多いと聞きます。でも、休み明けに、学校に行きたくないと、子どもが言ったら、「行かなくていいよ」とお母さん、お父さんは言ってあげてほしい全員が今の学校制度に合わせる必要なんてないし、その子に合った学び方はいくらでもあります。子どもが学校に行かないと、親は心配でたまらないかもしれません。でも、無理強いは子どもを追いつめてしまうかもしれない。そのことを、親は肝に銘じておかなければなりません。

君、学校に行きたくなかったら、行かなくていいからね

バックナンバーになってしまいますが、7月1日売8月号の「私たちのチャレンジストーリー」で、不登校について取材しています。ぜひ、お読みいただければうれしいです。

また、今日公開されている小幡和輝さんのこちらの新聞広告とnoteに感銘を受けました。両親が子どもの気持ちを認めることがとても大切なのだと、改めて思いました。小幡さん、教えてくれてありがとう。



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