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2つの意識領域 - パラレルワールド -

最近、潜在意識関連の学びを深めていたら、
意識の領域は一つではなくていいことがわかった。

多重人格とかではなく、

パラレルワールド的な考えです。
意識の上での話。

なんかしらんが嫌な気分があるとしたら、それは現実の領域で感じたもので、

本来の高波動の"既に全て在る"の領域とは全く違う次元にある。

同時にある2つの次元。領域。

最終的には自分にとって不快な領域にはいなくてよくなる。

選択の自由。

グラウンディングをあまり熱心にはしなかったからか、私は簡単に概念や意識が変わることに抵抗が少ない。

たまに天空の城ラピュタのような場所から大地を見下ろしている感覚も出てきた。

私はあまり定住にこだわらないため、
どこへ行ってもそれなりに楽しく暮らしてきた。

ただし、住まいはリッチなほうがよい。安全であることも大事。セキュリティはきちんとしている場所に限る。

雑な感じは昔から好まない。だからバックパッカー的な旅には興味がない。

安全で安心、豊か、が大事。
ならばグラウンディングじゃん、と思う人は、相当グラウンディングで頭も心も体も凝り固まっています。
ストレッチをしたりして全てにおいて柔軟性を取り戻す時です。ヨガでなくていいです。
あ、でも本来のヨガは瞑想ですから、
瞑想だけは推奨しています。
アーサナとかは私には要りません。
ストレッチ派です。

瞑想は10代からしてきまして、
今の私があります。
瞑想は本当に私には素晴らしいものです。

今も私なりの瞑想を続けています🪷

安全安心・豊かさはグラウンディングをしなくても、あります!
あります!と、言えば。
STAP細胞のあの一連の出来事は小説よりも小説でしたね。不思議な出来事でした。
あの話はまだつづいているような気がします。
あの方々の世界のなかで。

事実は小説よりも奇なり
イギリスの詩人・バイロンの言葉です。

そんな感じの出来事でしたね。
さて、その出来事はおいておきましょう。
私にはわからない世界です。

そしてバイロンは事実は〜の言葉につけ加えています。

"語られることがあれば"

世の中、そして今までの歴史の中では、
語られない真実が山ほどありますよね。
隠蔽された事実と人。

また誰かが勇気を出して真実を語っても、
周りから潰されたり、揉み消されたり、
なかったことにされたり、

やはり世の中で一番暗くて悪いものは、

人間の自己保身のための自己中心的な想念

だと思います。

愛されたい、嫌われたくない、褒められたい、
これが強い人は自己保身に走りがちで、
誰かを悪者に仕立て上げてでも自分が悪く言われたくない、という、
あの宇宙で一番醜い心の働き。

私はわかってあげないことにしています。
そういう人たちは言い訳もすごいし、
平気で泣き言も言ってきます。
あれだけ逆ギレしてヒステリーを起こしておいて、理不尽な暴言を吐き散らかしておいて、
いざ、自分の身が危うくなると、
助けてよ!許してよ!とか平気で言ってきます。

私は身近に数名このような悪質な人がいたので慣れていますから、社会の大舞台でもこのような自己中なとんでもない人に出逢っても対処できましたが、
普通にほんわか生きてきた方々は、
びっくりするでしょうね、騒ぐよね、と思います。

ザラです。
一般社会より、更に大きな、キラキラ系の世界ではもっとそんなことばかりです。

ニュースとかで表に出るものなんて大したことではないです。
もっと暗いなんとも醜い事実が水面下に隠されていますよ、人間界なんてね。
ですから、ホラーとか霊障はあまり何も思いません。生きている人間のほうがもっと恐ろしいのでね。

で、麻痺しているから、それが当たり前になっちゃっている人もいる。

当たり前、はどの社会でも1番ダメですね。

この世に当たり前なんて無いっす。

生きているこの今すら当たり前じゃないですもの。

私は幼少期から苦労の連続でした。
精神的な苦労です。
ですから今は全て私の人間としての糧となっておりますが、
常に感謝を忘れずに生きてきました。
困ったちゃんの両親にも感謝をしていたし、その都度言葉で伝えていました。
周りにいる人たち全てに感謝していました。
小6の時、校庭を1人で歩いて教室へ戻る時、
仏様
と、きこえました。心のなかで。
そっと手を合わせました。

不遇で理不尽で不当でつらくても、
仏の心を忘れずに生きていきましょう。
そういう意味だと私は感じました。

元々、私がそんな感じでみんなに親切にしていたから、多分そのままでいい。
いつかよい時がくるから、ということでした。

あれから40年くらい経ち、
今のところ、まだ、これまでの苦労に見合ったよい時は来ていませんが🤣
もう近いです。

その時、
あの高波動の既に全て在るの次元だけが、私の世界となる、また、更なる精神性の上昇を目指す道がひろがる。

比重が重いほうの次元にいると、
否定的な考えが聞こえます。
私の声です、誰かがおっしゃったことだとしてもそれを受けとめているのは私です。
波動が低い世界独特の感覚があります。
そこはそれぞれで超えたければ超えていけばいい。そのままそこにいたければ、そこにいればいい。

選択は自由です!

私は高波動のほうが気持ちが楽だから、そちらを選びます。

そういった意味で二極化に感謝しています。
みんな自分が好きな次元を選べます!

私が人生のなかで、
限界を感じ、もうこれ以上は無理です、
神様私はもう限界です、と、思った時が何10回とありましたが、
その時、なんにも起きませんでした(笑)。

誰も助けてはくれませんでしたし、
私も限界だから何もできませんでした。

が訪れました。
そのあと、普通に何となくまた生活が始まりました。

あの時の限界だ!
どうしたらいいの?
苦しい、助けて。

の時になんか超えていたのですよね。
今思えば。

私が超えてきたものは、

ホメオスタシス

でした。

そしてホメオスタシスを超えるとともに概念も変容。

あの苦しみは耐え難いもので、
あのホメオスタシスを超える瞬間は死の淵ギリギリのところです。
そこが、
To be or not to be.
生きるべきか死ぬべきか
の狭間であり、
自分でハンドルをどちらに振り切るか決める。

私はあの感じをよく知っています。

今回は私が個人的に感じている、
2つの意識領域の話でした。

Memi33  from Venus
金星のメミちゃん⭐️


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