明日も明後日もそこに居るみたいに
やっぱり想像は想像でしかないんだなぁと日々感じている話。
先日、父がお空へ行きましたとnoteに書いたけれど、もうすぐあっという間に亡くなって1ヶ月が過ぎる。は、早すぎ……っ
亡くなる前は、たとえば父が愛用している財布や自転車なんかを見ながら「あ~これは亡くなったあとに父のことを思い出して泣きそうだな~~」なんて想像していた。
けれど不思議なもので、モノとしてそこに存在するものたちには意外にも「父はコレ好きだったよねぇ」という温かい思い出しか浮かばなかったのだ。
悲しくなるというよりも、日が経つにつれ曖昧になる父の輪郭をくっきりさせてくれる補助媒介のような役割を担ってくれる。
いい意味で、想像と違っていて。
それらのものは、我が家で父の思い出を映しだすプロジェクターのような存在であり続ける気がして、すこしホッとしたの。
じゃあ、
実際にはどんなものが「あぅ……」と心臓をぎゅっとさせるかというと、やりかけのもの、使いかけのものといった、英語でいうところの「-ing」の状態を保ったものみたい。
たとえば、
食が細くなった父が「これなら食べれるかも」と、亡くなる数日前に自分で買ってきたコーンフレークの残り
病気になってからハマりだした、つぶらなカボスのボトルたち
家族では父しか食べない、サバ缶ストック
取り換え用のストーマのストック、紙おむつ、薬
父の部屋に行くと、いつも革製品をハンドメイドしていた机に、カッティングボードとボールペンがそのまま出してあるし
捻挫したので1Fに部屋を移るときには(詳しくはこちらの記事で)、数日経てばまた2Fの自室に戻れると誰もが信じていたので、父はちょっとしたお泊り感覚でお気に入りの革バッグに身の回りのものを詰めて持ってきていた。
そのバッグの中には、暇なときに革磨きでもしようと思っていたのであろう趣味グッズが入っていて。
どうしてだか、1Fに移ってからはすぐに自力で物を持つこともできなくなって、その革バッグの"お泊りグッズ"は一度も使われないままだった。
明日も明後日もそこに居るように、生活が続くと信じて父が手にしていたものたちがいちばん、父が居たことと父がもう居ないことを同時に伝えてくるので悲しいのだと気付く。
これは実際に今の状態になるまで想像もしてなかったこと。
ありがたいことに、ストーマや紙おむつは、お世話になった緩和ケアの職員さんたちが新人さんの練習用にと引き取ってくれた。捨てるのもしんどいしさあ~~~~感謝~~~……。
見るのも辛かった、最期に使っていた介護ベッドを電話1本でお通夜よりも前にすぐ引き取りに来てくれた市の職員さんもありがとう。
ふと思い出す。
父は末期がんが見つかってから、前よりもよく「盆栽」を買うことが増えた。たしか、亡くなる2ヵ月前にも温泉帰りに道の駅で盆栽を買ってきて、居間で手入れをいていた。
私はその様子をシンプルに「ま、また盆栽が家に増えた……!」と思いながら眺めていたけど、父は何を察したのか、こちらを向いて
「90歳のじいさんでも、盆栽は買うとぞ」
とすこしバツの悪そうな顔で言ったの。
最初は、いきなり何の主張だ?と思ったけど、要は
「たとえ先の短い人生でも、盆栽(のように自分よりも長く生き続けるもの)を買ったっていいだろう」
ということを弁明したくなったのだろう。
今でもよくあの日のことを思い出して、くすっと笑える。
たしかに父は、コーンフレークから盆栽まで、父亡き後に誰かがバトンを引き継がないといけないものたちをいくつも残した。
やれやれと思う一方で、実家にいるとどこを見ても父が明日も明後日も当たり前に居るような生活のたたずまいが残っていて、少し淋しさが紛れるような気もする。いや、淋しい。
今回の実体験から得た知見で、裁縫が趣味の母には「ねぇ、それお母さんが亡くなる前にちゃんと完成させてね」などと不吉な釘をさすようになった。
やりかけだと淋しくなるの、完成品なら思い出の品にできるけど。
そんなことを考えているここ1ヶ月でした。
おわり。
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