【優しい虐待で育て上げられた息子の実例】~Nくんの思い出~
#エッセイ #体験談 #優しい虐待 #過保護な母親 #母親に溺愛された一人息子
昨今、実の、義理の、または養育者等による暴力や性的虐待を始めとした児童虐待が社会問題になっている。しかし、これは近年になって倍増したのではない。
これまで隠匿されて、闇に葬られていたものが、時代の変化によって明るみになるようになっただけのことである。
実子、内縁の妻や夫の子、または養子に対して身体的、性的虐待はれっきとした犯罪になり、実の、義理の、養育者を問わず、その【親】は逮捕され、処罰される。
だが【優しい虐待】は今のところマスメディアで取り上げられることはまったくないに等しい。それは被害児が、事実上、暴力や性的虐待とは一切無縁の、ごく普通のーーというより、むしろ標準より裕福な家庭で実の両親に愛されて育っているからである。
私は、優しい虐待によって育った一人の男性を知っている。ざっくり登場人物を紹介すると、
①私(筆者)
②Nくん(母親からの優しい虐待育ち。家事炊事一切出来ない。弱者に対して常に上から目線、嫌われ者)
③Sくん(Nくんの唯一の友人。知的障害のある発達障害者だったと思われる)
当時、私は地方に設立された【専修学校】の形態を取った、とある職業訓練所に通っていた。北は北海道から南は沖縄まで、さらに年齢層は高卒ばかりではなく、60代以上の定年退職者や30代~40代までの転職希望者と、実に多岐に渡っていた。ちなみに私は当時20歳。いわゆる転職希望者組だった。
Nくんは、都内の大会社の社長の一人息子。お母さんがあまり体の丈夫な方でなかったらしく、Nくんは人並み以上の裕福な家庭で母親に溺愛されて育ち、炊事洗濯はおろか、炊飯器で米もまともに炊けないレベルだった。
ただ蛇口をひねってお湯とお水の温度を合わせ、浴槽にほどよい温度と湯の量の溜め方や、洗濯機の使い方さえ知らなかった。というより、母親からその程度のことさえ教えられて来なかったのである。何故なら全部、お母さんがやってくれていたから。
風呂の支度さえ出来ず(風呂に入らない、髪も洗わない)洗濯のやり方さえ知らない男子はどうなるか?
もちろん不潔になり、全身から悪臭を放つようになり、特に高卒女子達からは露骨に嫌われる。Nくんはあっという間に嫌われ者になり、高卒女子は誰も近寄らなくなったが、そんな彼にも唯一の友人がいた。
前述の、Sくんである。Sくんは不潔ではなかったが、今にして思えば、彼は完全に知的障害を伴った発達障害者だった。ゆえに、色々と言動がおかしかった。そう考えると、Sくんは気の毒な子だったと思う。
2年間、2時間もかけて自宅から専修学校に通わせたにも関わらず、結局彼は卒業寸前で座学のテストですべて赤点を取り、単位不足で中退した。
NくんもSくんも、皆に嫌われていた。はっきり言って、私もふたりが嫌いだった。だが今ならわかるのだ。Nくんは、
【お母さんがいなければ自分ひとりでは何も出来ない】「優しい虐待」の被害者であり、
Sくんは両親に発達障害児であることに気づいてもらえず、無理に進路を強制された、理解のない毒両親の被害者ではなかったか、と。
ちなみにふたりは、ガンダムトークでは異様なまでに息も話も気も合っていた。そして、ふたりに関して個人的に忘れられないエピソードがある。
2年生の3学期の期末テストで、座学の1科目で小論文を書きなさいという課題が出されたのだ。
評価は【優、良、可、不可】それぞれ内容の出来具合によってプラスとマイナスが追加され、最優秀はプラス優、最低はマイナス不可というである。ちなみに自慢するが、私はこの小論文テストで、
【プ ラ ス 優 で し た ♥️】
しかし、Nくんは【可】ーーにも関わらず、彼は自信たっぷりだった。
【不可マイナス】であったSくんは、Nスゴいね、Nスゴいね、とまとわりついて称賛する。それに対しSくんは、
「大したことねぇよ。俺、高校のとき国語の小論文のテストで、クラス35人中25位だったから」 「25位!? すげー、やっぱりNってチョー頭いいじゃん!」
と、SくんはNくんを褒め称えていた。クラス35人中、25位のどこが頭がいいのだろう。下から数えた方が速いレベルではないか。
ーー結局、NくんとSくんはおバカ同士のどんぐりの背比べをし続けていただけだったのだ。
優しい虐待を受けて育ち、身の回りのことは何も出来ないNくん。両親に知的障害に近い発達障害者と気づかれないまま、成人したSくん。
本当に痛ましい被虐待児だったのは、彼らのどちらなのだろうか?
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