ひかりふる路 東京新人公演 ~感想その1~

まえがき

本文は2018年当時、別アプリに記載していたものを転記したものです。大切な思い出として、一部編集しここに残します。

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2018年1月25日(木)

また新たに記念日が増えました。
雪組東京新人公演「ひかりふる路」

宝塚大劇場で初主演の綾凰華さんを観たときの感動と興奮は本当に本当に大きなもので、物語の美しさを存分に楽しませてもらえるものでした。

開演挨拶から終演まで何度も涙した物語。もう一度あの演者の物語が観たくて心待ちにしていた約2ヶ月間。

期待と楽しみと、――どんどん痩せていくあやなちゃん。

今、無事に幕が降りてホッとしたのと、それと同時にこの新人公演メンバーへの賞賛と感謝の言葉が溢れてきています。

全体感からいうと、ムラより格段に歌が良くなっていました。そして、お芝居はより緻密で細部まで一本通った物語に。演者が本から読み取り表現する人物が、世界が、“腹に落ちる”感覚。
本公演が『恐怖政治家の誕生、栄光と凋落』として描かれたなかば一本物のような物語だったのに対し、新人公演はシンプルに一幕物の『愛と友情の物語』だと感じました。

ムラでの綾ロベスピエールは、終始本当に繊細なガラス細工のようだった。一青年が民衆のリーダーになり美しい理想を描く物語のまま幕を閉じるんじゃないかというくらいにキラキラしていて、途端、恐怖政治の宣言から崩れるように闇に落ちて、脆さゆえのもがき苦しむ様が本当に胸を打ちました。

東京公演では脚本自体が手入れされ、恐怖政治を思い付く導入場面がガッツリと変わってしまい、個人的にはロベスピエール自身の意思の変化・情緒が弱まってしまったことが残念でなりませんでした。それまでの垣間見えるル・バの性格から発せられるその台詞・勢いの唐突感が理解できず、繋がりよりもスターさんへ台詞を当てたかっただけなのではと思わずにはいられませんでした。そしてあの好きだったロベスピエールの「それは……恐怖だ…」という台詞と空気をコントロールする様がおそらく新人公演でも観られなくなるなんて、と残念に思いながら本公演を観ていたのでした。

そうして迎えた当日。
――どこまで本役さんをなぞってくるのか…頑固というか一本芯の通ったところもあるけれど、全てを謙虚に受け止める綾さん。どんな風にムラでの課題に取り組んできたのか。

――せり上がり、息を呑むほど美しい綾マクシミリアン・ロベスピエール
(以下、マクシム)。ムラよりずっと、歌声にハリがあり、指導者としての片鱗を感じさせる意志の強さが表現されていて、民衆の真ん中にいることが相応しい真っ直ぐで勢いのある青年。

マリーアンヌと出会い、家まで送り届ける場面では、娼婦を振り払う姿・動作が紳士でいつも言い寄られてはあぁやって断ってるんだろうなと感じました。マリーアンヌへ向ける少し甘い予感を感じている表情が印象的で、対する潤花ちゃんマリーアンヌは革命を憎んではいるものの、絶対的殺意に満ちているわけでなく迷いも伺えて、大切に育てられてきた貴族の娘ならきっとこうなるよな、という納得性がありました。

とにかくその前の場面での叶ダントンの「ひょっとしたら、ひょっとするかもなぁ!」という台詞の必要性と説得力とが増すんです。なるほどね、と。

議会でのマクシムとダントンのやり取りを傍聴しているマリーアンヌは殺意というより興味を持っていて、どんな考えを持っているのかを知って『思っている人とは違うかもしれない』と迷いがでていました。

マクシムは真正面からダントンに立ち向かっていて、『本質的には喧嘩』でダントンを置いて議会を去る時には、怒り心頭で。ギリギリまでダントンを見極めようと睨みつけながらも、素早く踵を返すのが印象的でした。

その後のポンヌフのやり取りは見もので、その前までの場面で“予感と迷い”がそれぞれ見えたからこそ感じるものがありました。

まず、偶然橋で再会したんじゃなくマクシムは待っていたんでしょうね。そしてマリーアンヌも彼のことを考えながら歩いていた。

ようやくマクシムの姿に気づいて、咄嗟に立ち去ろうとするが、彼女が視界に入るやいなや優しく少し寂しそうに話しかけるマクシム。それに対して迷いをそのままこぼしてしまうマリーアンヌ。

マクシムは彼女のことを知りたくて、さり気なく、紳士に質問する。質問を拒絶する彼女に尚も優しく語りかけていたけど、不意に理想とする革命を批判され、声を荒らげてしまい、ここで驚いて目をあげたマリーアンヌに目を見つめられ、初めて送り届けた日の感覚を思い出していたようでした。マクシムは二人の間の壁を取り除きたくて、そっと自分の話をして聞かせる。

この一連の流れが本当に秀逸で。

とにかく綾マクシムと潤マリーアンヌの間の探り合いがとても自然でした。

理想と願いの世界の話を聞いてるうちに恋に落ちてしまうのが、二人の見つめ合う視線からもよくよく伝わってきて、いきなり「もしも僕を愛せるなら――」と歌われてもすんなり歌詞が入ってきて、二人の愛を象徴する音楽となるからこそ最後の牢獄でのリプライズがより一層感動につながるんですよね…。

『愛と友情の物語』だからこそ、台詞が伏線となり、それを回収した時のスッキリ感=“腹落ち感”によって観客側が感情移入しやすくなり、ストレートに感動に繋がる…。

感情移入した観客は、このあとの闇落ちからもマクシムに寄り添ったまま物語を観ることができる。
この物語でのマクシミリアン・ロベスピエールは自らが絡まった糸とともに観客を闇まで突き落としてしまうのでした。



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