ひかりふる路 東京新人公演 ~感想その2~

まえがき

本文は2018年当時、別アプリに記載していたものを転記したものです。大切な思い出として、一部編集しここに残します。

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その1では、白い光の溢れる前半場面についてつづりました。その2では闇の中で赤い影に追われる後半場面についてつづります。

エレオノールに送り出されて来たジャコバンクラブで、マクシムはサン=ジュストに告げられます。ダントンが裏切ったと。
「共和国の終わりだ。」
説明を受けても尚信じられず、自分の目で確かめようと貪るように資料に目を通すマクシム。

サン=ジュストに唆され目を白黒させていたものの、怒りが決意へとなり、突然に目の色が変わると、美しくも硬い表情で「――私が救おう」と立ち上がります。
周りが「愛する国を守るため」と歌うのに対し、「愛する者を守るため今立ち上がろう」と歌うその声はずっと力強く、“何のために革命を進めるのか”、それまで紡いできた本筋からぶれることなく突き進んでいく彼なりの愛の強さを感じさせました。

ダントンを追放してからの恐怖政治の始まりは、縣ル・バが熱血一本気な役作りだったので、「恐いさ!」と口走ったのにも違和感はなかったし、それを冷静に聞きながら「ならば我々が恐怖を支配するのだ」と静かに口にする様子にゾクゾクとしました。
その後の恐怖政治宣言では、狂ったように高笑いしながら粛清をつづけ、時折ふっと苦しそうな顔を浮かべいつまでも終わらない粛清に対する焦りと疲れが垣間見え、あまりにも美しく、そして恐ろしい(まるでスカーレット・ピンパーネル新公でのあの憑依しきった)顔をしていて、まばたきできないほどに見入ってしまいました。

マリーアンヌが訪ねて来てくれた時の、嬉しそうな、そして否定された時の悲しそうな表情と声。もうマクシムは悪魔に取り憑かれてしまって戻れなかった…。
戻れないマクシムはマリーアンヌを愛しながらも尚も突き進み、自分を見失ったままダントンとカミーユを処刑してしまいます。
ほとんど全てを失ってしまったマクシムが上手花道から登場し歩く足取りは一層重くて。「マリーアンヌを取り逃した」との報告を受けたあの瞬間だけ“本当のマクシム”がいるからこそ、観客の気持ちはマクシムに寄り添ったままでいられるのだと思います。

『至高の存在の祭典』で青い衣装は、それまでのどの衣装より鮮やかで大きく、そして輝く冠は絵画のように美しく、そして滑稽で冷たく恐ろしい場面でした。大きすぎる衣装、翻弄されふらつく足取り、ぐらつく冠。
サン=ジュストを呼ぶ声は、宝塚での新人公演よりずっと「恐怖<苛立ち」が感じられました。マリーアンヌを見つけた時のホッとした表情、子供のように縋る姿…。襲われていることに、恐怖よりも驚きと放心が感じられ、真っ直ぐマリーアンヌの目を見つめる姿や、捕えられたマリーアンヌを求め追いかけて、叫び、転び、うずくまり…声を震わせながら歌う歌があまりにも切なくて。

「ただひとつの信じた愛
それすら手の届かぬ幻なら
何を信じて生きるというのか
愚かな夢から目覚める時が来た

信じた友を殺し
愛した人もいない世界で
私はどこにもいけない

見上げた空に光る
理想の影は赤く
悪夢の名残が滴りせめ続ける」

マクシムの手から全てが失われた瞬間
救いようのない彼の心が狂おしいほどに愛おしくて涙が止まらなかったです。
背景の青白い光をしたギロチンの刃が赤く染め上がっていく様子が無残にもの悲しく、そして客席に背を向けその赤い刃に左手を伸ばすマクシムの姿が胸を締め付けて、その後の場面でも残像のように頭に残っていました。

全てを失ったマクシムは放心としたまま、風向きが変わった議会で弱々しく発言を求めつづけます。ついに発言をする機会が訪れたとき、マクシムの中から、彼の抱えているすべて孤独が飛沫のように吹き出していくのがまるで見えるようで、「私は私の死を望む」とハッキリと言い放ちそして抜け殻となった彼をみていると、まるでこちらまで抜け殻になってしまったかのような気持ちでした。

最後の牢獄は愛おしすぎて。
最初とはまた違う清廉とした顔つきが印象的でした。
悲しい結末なのに、彼は最後に大切なものを手に入れることができたのだ、と心は凪ぐようでした。

ここについてはまたその3で綴ることにします。
マクシミリアン・ロベスピエールは色んな演者がいうとおり、本当に魅力的な人物なのかもしれない。


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