チンピラ流子育て論:死体の片づけ方と道徳教育の両立について

 子ども、てのは一体なんだか俺は分からなくなっちまったよ。と、俺の隣に座るギイが呟いた。俺はこの巨漢にも小さな声は出せるんだなと考えながら、静かに頷いて答えた。
 そう思うのも無理はない。俺自身、目の間で無邪気に遊んでいる子どもが何かわからない。姿だけで言えばまさしく子どもだ。空想と現実が地続きなった世界で遊び、眩しい笑顔で心を照らす。8歳くらいか、あの年齢の男の子ならヒーローに憧れたりするんだろうか。

「みてみて!」
声だけで言えばやはり無邪気。声だけなら。
「お、おう見てるぞ、ハハ、ハハハ……」
お前も見ろとギイが肘で俺の脇腹を小突く、お前の無駄にデカい筋肉によって繰り出されるそれは意外と痛いんだよ、と文句を言いたいが今は堪え、顔を上げた。
 見ろよあの笑顔、大人には無い、見るだけで人の心から暗いものが晴れるような温かさがある……なんてことはねぇ、むしろ逆だ。俺が感じてるのは寒気、いや怖気だ。

 子どもの左手には生首、右手には血塗れの剣(プラスチック製)、顔には血を拭った跡が走っている。子どもは生首の髪の毛を鷲掴みにして、まるでヨーヨーか何かの玩具のようにグルグルと振り回し天井に床に、そして壁に血飛沫の模様を描いていく。これが青や緑のペンキなら前衛芸術として評価もつきそうな光景だ。そうだったらどんなに良かったか。

 なぜこうなっているのか。わからん。初めはボスからこう言われた。
「この子どもを攫って来い」
それだけだ。本当を言えば子どもがらみの犯罪は俺とギイの流儀に反する事だが……ただボスには逆らえない、わかるだろ。そう、”仕方なく”だ。
それ以外は簡単な筈だった。
 予想外だったのは、狙っている奴らが他にもいて、そいつらと一触即発、撃ち合いになる!ってところで子どもが癇癪を起し、剣(プラスチック製)で奴らを皆殺しちまった。
 そんで何故か俺らは幸か不幸か、子どもに気に入られちまった。

続く

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