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閾値

「風疹はシバザクラみたいに一面に桃色になるんです」
「近よって見れば1コ1コの花が見えるが遠目に見ると一面の桃色——」

佐々木倫子『林檎でダイエット』収録作品『白衣の天使』より

 昼頃、やにわに轟くような騒音が部屋の中に流れ込んできた。私の住まいの周辺は、いつもそれなりにうるさい。だが今回はケの喧騒ではない。祭りである。ほんまもんの祭りである。益荒男たちが猛りながら辺り一帯を練り歩いているのである。私には日常的にハレとケの意識が付きまとっているが、これこそまさしくハレの喧騒だった。雷鳴のごとき太鼓の音がけたたましく轟いて、まるで地響きのように部屋の空気を揺らし続けている。

 つ、つれえ〜〜〜〜っ!!!

 シンプルにつらい。なぜなら私は祭りが開催することすらよう知らんかった程度には“この地の住人”ではなく、“legal alien”であるところの私には申し訳のないことに祭りに対して一切の思い入れがないのである。「あー、今年もこの時期がやってきたなあ」とか全然思わない。そもそも今日知ったし。(実のところ事前情報を全く得ていなかったわけではないが、「アレってこれか〜〜っ!!」と実際に直面してから伏線回収のようにそれを認知した)浮かれているときの私だったら「オッ!行ってみちゃお♪」と参戦していたかもしれないが、残念ながら家にいるときの私は浮かれていないことの方が多い。

 その上私は音に対して過敏になりやすい傾向がある。外出の際にはイヤホンをつけて外界の音を緩和させている(ノイズキャンセリングがついていない安物なので一定の緩和で済んでいる)し、身の安全も鑑みながら、完全に遮断したいときには音楽も流す。部屋の中のイヤホンの所在がわからないまま時間に追われて家を出て、出先ですぐに別のイヤホンを買いなおす程度には“そういう人間”をやっている。また、人混みにいるとそれだけで圧倒されて、潰れたカエルのような生きものと化す。
 これは近しい友人もあまり知らないんじゃないかと思う。人と行動を共にするときにはイヤホンを外しているし、その上たいがいは浮かれてハメも外している。恐らくは情報処理の問題だろうと思う。取捨選択の出来ないかたちで否応なしに絶えず外界の情報が流れ込んでくる状態への耐性に欠けている。他者といるときは自然に意識の方向がそちらへ向かうから、自動的に取捨選択が行われる。音楽を聴くのだって、結局は意識の向かう先をそれと定めている行為に他ならない。いや趣味も大いにあるんだけども。

 そういうわけで昼の私は化粧をしながらグロッキーになっていた。出かけるのやめちゃおうかな。疲れたし、眠いし、ワンピースの試着なんてしたら本当に買っちゃいそうだし……(ネタバレ:買います)。そんな思いが頭をもたげて、布団の上に倒れこむ。喧騒を全身に浴びながら、疲労と眠気の混じったふさぎに身体が支配される。こうなるともはや生きた屍となって、インターネット上のみに存在する概念となるか、ただ天井や壁を見つめるだけの時間を過ごすか、そうして最終的に眠りに落ちるまでを待つか、と言う話になってくる。ならなかった。いや途中まではそうなっていた。ただぼんやりと天井を見上げていた。

 なんだかおなかがかゆいなあ〜〜〜〜〜!????!!!!!???!!

 初めはほとんど無意識のうちに腹を爪で掻いていた。しかし掻き時間の経過に比例して、だんだんかゆみが意識の上にのぼってくる。かゆい。おなかがかゆい。次第に“引っ掻く”は“掻きむしる”に移っていく。さすがにどうしたものかとTシャツの裾をまくってみれば、なんか知らんけど腹というキャンバスにぽつぽつと小さな赤みが広がっていた。なんで? 記憶をたぐっていろいろと原因となるような要素を洗い出してみるが、どれも今ひとつピンとこない。アレルギーの類はこれまでに発症したことがないし、昨日は久しぶりに湯船に湯をはって入浴剤を使ったが、それだとしたら脚全体にも広がっているんじゃないだろうか。更に昨日は久しぶりにクロゼットから引っ張り出したインナーを着たけど、それが悪さをしたというには腕も腿もちょっとかゆい。あと考えてるうちにどんどん背中もかゆくなってきた。かゆい。胴体がかゆい。

 皮膚科に行こう。四の五の言わずに皮膚科に行こう。ついでに試着もしに行こう。化粧も終わってるし、なんならカラコンも入ってるし。

 そうして土曜でもやっている近隣の皮膚科の中で適当に選んだなんか良さそうな病院にかかった。「病院と役所は時間がかかるもの」と認識をしていたが、こぢんまりとした待合室の中にはそれでもソーシャルディスタンスを保てる程度にぽつりぽつりと患者がいるのみで、初診の問診票を書き終えて受付に出すころには既に次の患者さんになっていた。診察もものの数分で終わった。服をまくって腹と背中を見せて、「な〜んかわからんけど湿疹出てますね〜! 抑える軟膏出します!」おわり。普段通っている精神科がマクドナルドだとしたら駅の立ち食いそば屋くらいの回転率だった。皮膚科って回転早いんだなあ。皮膚はとりわけ症状が目に見えてわかりやすいだろうから、そういうものなのかもしれない。薬局もすぐに済んだから、場所や曜日の問題なのかもしれない。

 そうして(流れるように試着したワンピースを購入したのち)帰宅し、シャワーを浴びて薬を塗った。なんか痒みがおさまってきた気がする。そう思っているうちに、笛の音が聞こえてきた。

 夜の部が開催されてる!? マチソワ!? 祭りマチソワ!?

 助けて〜〜〜っ!!!! この家は益荒男に包囲されています!!!!! しかも昼より雄叫ばれています!!!! ウワーーーッ!!!!! 戸棚のウラは益荒男の卵でいっぱいだーーーー!! 背中が痒くなってきたな〜〜〜〜!!!!??!!!!?!

 天罰か? 背水などとふざけた妄言を吐いてポリッシュでは飽き足らずワンピースまで買った天罰か? 銭洗弁財天で洗った銭で支払いをしたのが神の怒りに触れましたか?

 軟膏の二度漬けをしながら「マチソワ雄叫びボーイWAO!で体が痒くて死にそうです。わしゃ祭りアレルギーか?」という旨の発言をしていたら、「ストレスって体がかゆくなるよ」「じんましんはストレスでも出る」といったお言葉を各方面から頂いた。マジ? 祭りアレルギー説の後押しをされている?(祭り自体はな〜〜んも悪くないです。私が薄弱な異邦人なだけです)

 雄叫びが遠のいていくのを聞きながら睡魔に襲われて、3時間後に目が覚めた。背中がかゆい。背中のかゆみで起きたというより、最近の私がな〜〜んか知らんけど就寝後2.3時間くらいで無駄にすっきり目を覚ましてしまいがちのターンに入っているため、中途覚醒がかゆみのおててを引いてやってきたと言う表現が恐らく正しい。ちょうど背中もかゆいし目も覚めたところで(?)「ストレスでじんましんが出る説、あれマ?」という疑問が湧きあがったので少し調べた。正確な情報かどうかというより「マ」だった場合にどういうメカニズムで発症するのかが気になった。

 結論から言うとストレスが直接じんましんを発症させるわけではないが、疲れやストレスが皮膚の閾値を下げるため結果的にささいなことでも発症しやすくなるらしい。へ〜〜。じんましんって刺激の閾値を超えると発症するんですね。勉強になりました(※これといったきっかけもなしに発症するパターンもあるらしい)。診察が異様に早くアッサリしていたことへの新たな気づきもあった。しっかり原因を突き止めようとするとメ〜チャクチャ大変だからとりあえず対症療法で様子見て治ったらヨシ! ということですね多分。

 結果として「なんか知らんけどかゆい」というところに戻ってきましたが、とりあえず軟膏塗って治らなかったらまた病院行きます。
 あと冒頭の引用は体がかゆくなってからずっと脳裏に浮かんでいたシーンです。一面の桃色畑ではないから風疹ではないな……とすぐにわかったのでよかった。


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