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キース・ヘリング。作品と生の軌跡

キース・ヘリングときいて、何を思い浮かべるだろうか。
僕にとってヘリングとは
ポップでアイコン的な親しみやすいイラストを描く、
AIDSで亡くなった芸術家だった。

昔使っていたiPhoneのスマホカバーがたまたま彼のもので
そこからヘリングのことを知ったのだが
彼の作風からは、どうしても80年代のニューヨークで
とんでもなく絶望的な病の中で生きた人物像とは結びつかなかった。

だから、知人の勧めで今回の展覧会は大絶賛されていたこともあり
もっと彼のことを知りたいと思い、最終日のギリギリ前日の今日
土砂降りの雨の中、ヘリング展に向かったのだった。

ペンシルベニアからNYに出てきたヘリング。街と時代が彼の芸術性を必要としていた
80年代のNY。タイムマシンがあれば行ってみたい時代の一つである
才気ある彼が若くして命を落とさざる得なかったことが、堪らなく悲しい

結論から言うと、ヘリングはAIDSという悪魔のような病に罹患してしまったことを見てみぬふりをすることもしなかったし、ゲイに生まれてしまったことを呪い続けることもしなかった。理不尽と死の影と戦いながらも、親しみやすいポップアートという形式で世の中に希望の光を投げかけ続けた。

この言葉も強がりではなく、
ゲイという運命と戦い続けてきた中で得ることができた結論だ。
いくらセクシュアリティが絶望をもたらそうとも、
作品を通じて世界に愛を与え続けてきた自己に対する”誇り”であり、
ヘリングが自分自身であることとは
セクシュアリティも例に漏れず、内包している。
『ゲイであることを誇らしく思う』と言えるまでの過程は生半可ではない。

向かって左側には恐ろしい形相をした魔物がいて、
その背に白黒反転したヘリングが乗っている

もちろん、希望ばかりではない。
セクシュアルマイノリティに生まれてしまったこと。
AIDSを罹患してしまったことを受け止めるには悩みのプロセスが必要だ。
凄まじい葛藤の中で、自身を魔物になぞらえてしまうのは
心の至極真っ当な流れである。
僕はヘリングがこのような表現を取ったことこそ、
彼の純粋性さや誠実性の裏返しなのではないかと思っている。

ヘリングは女性についての作品も描いている。
いくつかの作品を見ていると、
女性をゲイ男性と比較して感情の暖かみや、
穏やかな幸せといったある種の憧れのような描き方をしているのと同時に、
この世の中が”女性に対する愛一辺倒”であることに対する
皮肉も交えているように思う。

ヘリングの作品が意外なほど、世の中に対する啓蒙や批判を含んだものが多いことに気付く。

また、意外にもヘリングは政治的なメッセージを含んだ作品を
重点的に制作している。

AIDS、ヘロイン、セーフセックス、原子爆弾
ゲイへの差別、資本主義社会…。

強いテーマを持ちつつも、これらのポスター作品には不思議と嫌味がない。
むしろ、心に寄り添うような暖かみがあった。
彼の考え方と同様、ヘリングの風刺作品は地に足がついている。
また、ヘリングは純粋無垢で未来への象徴である
赤ん坊こそ人間の完璧な姿であると考えていた。

中央に赤ん坊がある

僕はこの個展で、ヘリングのことが大好きになった。
人間の葛藤、そしてそれに向き合い続けるからこそ得られる自己受容。

これはもちろん、LGBT当事者に該当する人に限った話ではない。
あらゆる困難の中で問題と直面し解決してゆく中で
”自分が自分であってよかった”と思うに至る
宝物を手にすることが出来るか?

ヘリングの作品から受ける、心の闇の部分。
そしてポジティブなエネルギーからそんなメッセージがあると
確信できるのだ。

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