最近になってやっと、素直になるって、悪くないかもと思った。 いつから素直になることをやめたのだろう。いつから自己主張することをやめたのだろう。 まぁ今はそこはどうでもいい。だって気づいたのだから。 素直になるって、悪くないことかもしれない。 むしろ良いことかもしれないなって。 いつからか素直になること、自分のことを主張することをやめた。 そして20歳の頃(現在25歳)、バイト先で突然の過呼吸になった。 原因は押さえていた感情が爆発を起こしたとのこと。 医者に言われた。「
最近、世界がどんどん軽やかに自由な世界が構築されていっている。のと同時に、改めて自分と向き合うことが求められている。 これができないと、それこそ私たちは、個の私は死んでしまうでしょう。 今までは誰かのあとを追って行けば問題なかった。これからもそういった生き方はあるでしょう。 けれど本当にそれでいいのか、本当に幸せなのか。 あらためて「自分の“幸せ”とは何か?」を考えて生きたい。
夢なんか捨ててしまえ。 夢は何のために持つの?楽しみのため、ワクワクするため、自分の人生に可能性を見出すためなんじゃないの? 夢がなくて持てなくて苦しくなるぐらいなら、夢なんか捨ててしまえ。今に生きよう? 今が人生の本番なのだから。
スマホを手に取れば、ネット検索に一言入れればズラッとヒットする、又は関連する情報が並ぶ。 なんと広くてそして、なんとまぁ狭い世界なのだろうと思う。 知らず知らずのうちに狭く浅い世界に引き摺り込まれる。 そんな狭く浅い世界から広く深い世界に行くこともあるけれど、ごく稀なこと。残念よね。あんなにも超時間触っているのに。大切な人がすぐ目の前にいて話しているのを聞き流してまで見ているのになにも得られないなんて。大切な人が自分に向けられている目線を知らないなんて。顔を上げれば豊かで美し
自分の全てを受け入れたとき、人は初めて自由を得られる 疲れた時は休めばいい 元気なときは自分の好きなことをすれば良い 不完璧主義で生きる 人としての味が出る 不完璧であるからこそ、悲しみ、愛、優しさ、感謝を学ぶことができる
以前は自分の中に黒いものが見えるのが嫌だった。 外に見る黒は好きなのに。シックでカッコいい。 けれど自分の中に見る黒は嫌いだった。 矛盾してる。なぜ? それは、自分の中に見る黒に対しては所謂(いわゆる)“社会の目”で見ていた。 「暗い」「怖い」「近づきたくない」 悪い印象のものだった。 でも本来悪いものなんてないのに。 根拠のない社会のルール作って採用していたのは私。だから手放すことにした。 これからは“社会の目”ではなく“私の目”で見る。 黒はシックでカッコよく