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CHANELからも信頼を得た、ルイロスレーのジュエリー

ヴィンテージジュエリーの世界では、
パーツを世界中から集めたり、職人に制作してもらい、
デザイナーがデザインするのが一般的でした。
ルイ・ロスレーは、
自身のガラス工房を持ち、パーツを自社で制作し、
デザインし、ジュエリー制作をしていました。
パーツ制作、デザイン、ジュエリー制作を全て自身を行なっていたのは、
とても珍しく、異色の存在と言えます。
ロスレーがパーツ制作からできたのは、その経歴によるものです。

ルイ・ロスレー
ルイ•ロスレーは、1892年パリ生まれ。
幼い頃よりガラス工房へ奉公に出され、ガラス製作の技術を磨いた。

1919年には、パリに自身の工房を開き、オーナーとなる。
1920~30年代、歌手のジョセフィン•ベーカーをはじめ、
ムーランルージュのスターたちが彼のジュエリーの虜になったことで知られている。
また、その確かな高い技術から、シャネル、バルマン、スキャパレリから
ジュエリー製作の注文を受けていた。
作品が世界中の美術館に貯蔵されている、ガラス作家ルネ•ラリックも彼と共作していた。
フランスのみならず、世界で高い評価を受けており、当時から彼の作品は多くの国に輸出されていました。
彼の右腕となっていた娘、Deniseが1965年にチーフデザイナーとなり、その後1975年に工房を閉めました。

ルイ•ロスレーのガラスパーツには、
女性らしさ、エレガントさ、そして繊細さ…
見る者を惹き付けてやまない世界が詰まっていると、私は思います。
手作業で制作されたガラスパーツは、
パーツの一つ一つが複雑で美しく、オーガニックな形状をしていて、
同じデザインのパーツでも、2つと同じものがありません。
唯一無二のパーツを組み合わせて、ジュエリーを制作していたので、
一つ一つに個性があり、ロスレーのジュエリーに出会う度に、
新しい側面を知ります。

また、ガラスの色もロスレー特有です。
ロスレーがジュエリーを制作していた1930〜50年代頃、
フランス、チェコ、イタリア、オーストリア等では、
美しいガラスが制作されていましたが、
ロスレーのガラスには、ロスレーの色とも言える、
美しい世界があります。
言葉にすることは難しいのですが、ロスレーにしか出せないガラスの色があり、
色もロスレー作品を見極める基準の一つとなっています。
吸い込まれるような、、美しさがあります。
ガラスなので、人工物なのですが、
まるで植物や魚、鳥などを見ていて、美しいなと感じる感覚です。

高い芸術性がありながら、ミリアムハスケルのような高い評価を受けてこなかった
ロスレーですが、近年ヨーロッパでは評価が急激に高まっていて、
入手困難となっています。
彼の作品はジュエリーの枠を越え、アート作品と私は捉えています。
宝探しのように、これからもロスレーの作品を探して行けたらと思っています。

メルティングポット は、ロスレーの取り扱いは日本有数だと思っています。
オンラインショップで、ぜひ。

http://meltingpot-shop.com



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