読書感想文 『死後の恋』(前半)

『死後の恋』夢野久作

ハハハハハ。イヤ……失礼しました。嘸かしビックリなすったでしょう。前まではキチガイ紳士が言うことを丸ごと信じていたのに。最近になって物語を読み返したら胸が悪くなってしまいました。
これは作り話で、幻想の中にのみ存在する恋の相手だ!というふうに解釈が変わってしまったのです……アハアハアハ。イヤ大笑いです。

自称キチガイ紳士を支配している『世にも不可思議な死後の恋』
これを肯定しよう、
全財産である「死後の恋」の遺品は受け取ったのち、ロシアの海に投げるなどすればいい(大抵の貴族が眼を眩わすくらいのお金に価するものだとしても、いわく付きの代物だから手元に置いておきたくないということなら)

もしくは紳士の墓に供えてやれば良い(宝石箱に仕舞ってやったりして)話をしたあと彼は酒を飲んで飲んで飲み死にしようと決心しているのだから。

誰からも肯定されないことが紳士を悲しませているなら肯定しよう。
愛する人を亡くした彼が、彼女を抱いて眠れるようにと……。
―否、そうなってしまっては恋のお相手が気の毒だと感じたのです。彼ひとりだけが救われる話になってしまうのは私も気持ちが悪いと思ったのです。

リヤトニコフと相思相愛のように語られているが、
本当にそうなのだろうか?

『死後の恋』は、真実がどこにあるのか非常に曖昧です。語り手がキチガイ紳士ただ一人しか居ないため、彼の発言から読み取るしかありません。


読み直したことで次々と浮かぶ疑問

一方通行な恋愛感情をエネルギーにして作られた虚言説

「あなたにだから死後の恋について話そうと決めた」
この理由をまとめるまでにキチガイ紳士は一週間を費やしました。見ず知らずの日本軍人を舐めるように品定めし、話しかけました。このようなストーカーまがいの行動はリヤトニコフにも行われていたのではないでしょうか。

見た目は四十歳、自称二十四歳のキチガイ紳士は、リヤトニコフという地位の高い人物への叶わぬ恋の妄想に取り憑かれた虚妄の化身だったのかもしれない。キチガイ紳士のジットリした目線を想像し戦慄するまでがワンセットの本書には、正気と狂気の狭間で揺れる不安定さが随所に散りばめられています。
ウェイトレスに料理を註文する時の妙な冷静さと、死後の恋の話に繋ぐまでの一連のやり取りは手慣れていると言ってもいい。この手慣れた様子から、すでに彼は狂っていると感じ取れるのでは。

ロマノフ王家を敬愛するが故に見た戦場での幻覚説

猛々しい戦場では語り合えない、芸術などの話が分かち合えたことを涙を流して喜び合ったという描写があります。
しかし、そのような理解者が本当に居たのか?名簿なり何なり証拠がないと実際のところ分からない。語らう仲間がいたという幻をキチガイ紳士が見ていたという話にはならないでしょうか。彼は、ペトログラードの革命で家族や家産を一時に奪われ、極端な窮迫に陥っていました。ええままよと兵隊になりますが、戦場を体験したことがない彼の精神は崩壊寸前。極限状態に堪えようと幻覚が見えたといっても不思議ではありません。また、宗教・芸術・歴史を好む彼ならば、ロマノフ王家を心の拠り所にしていたのでは。

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