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俺は人間だけど、キミは人間?


※なんの校閲もせずに書き殴ってる自己満足のため誤字脱字が多いと思いますが、お許しください。


令和時代になってコンプラのアップデートであったり多様性を発信したい人が増えてきている。

これからの時代は多様性を発信して受け止めていくことが大事だと。

でも、この世には70億人の人間がいるんだから多様性なんてキリないじゃないかと自分は思う。

大学2年生の時の環境人類学という授業で、教授が「文化は人間特有のものかどうか」という質問を投げかけた。生徒全員にアンケートを取って、意見を聞いていた。結果は文化は人間特有のものだと感じている学生がほぼ多数だったし、自分も文化は人間特有のものだと思っていた。しかし、文化の定義とは「学習された知の体系であり、世代間で受け継がれていくもの」だと習って考えが変わった。多くの動物も進化や適応を繰り返しながら生きているのは、種が文化のアップデートを繰り返しているからなのかもしれないと思ったからだ。人間が特有だと感じるのは、人間特有の先験的想像力(経験したことがないこと、存在することが不可能なことすらも認知・理解することができる能力)によって対象に拘束されることなく、存在しないものを認知することができ、この能力がたまたま多くの「発明」を生み出してきたからなのだと。

また、自分の好きな漫画の1つに岩明均作の『寄生獣』が挙げられる。主人公の新一と寄生獣のミギーが共生する話で、種としての違いが刻々と描かれている。寄生獣ミギーは元来合理的で人間の持つ社会性や喜怒哀楽といった感情は持ち合わせないと言う。そして、人間のみが持つその感情は「心に余裕(ヒマ)があるからだ」と描かれていた。


たしかに、近代の科学技術の発達によって、人間は食べ物に飢えることも無くなったし、命の危機に怯えて生きていく必要もなくなった。この人間特有の先験的想像力や心の余裕(ヒマ)が人間の文化を高度化し、より快適に安全に日々を送ることを実現した。

この能力や余裕が人間という種に多様性を生み出してしまった。

自分は 心の余裕が増え、多様性を生み出したことは良いことと思う反面、デメリットもあると思う


というのも、多様になりすぎた?


この表現が正しいか分からないけど、人間の技術進歩によってどんどん広がった余裕(ヒマ)が生き方に選択肢を増やして、様々な価値観を生んじゃったんじゃない?



しかし最近思うのは、多様性を受け入れることが何よりも善であって、それに反論する人が悪だという価値観や傾向が見られる気がする。

自分は多様な価値観が混在するには、当たり前のように分断も必ず発生すると思っていて、その分断派の意見も1つの多様性なのだと思う。

分断の際に誹謗中傷が発生してしまうことが問題なのであって、多様性を受け入れていくためにはそれに反する多様性も存在することも受け入れる。"多様性"と"反多様性"はワンセットじゃないと意味がないと思う。

でもそんな相対する2組が理解し合えるとは自分は到底思いません。だって理解できないんだもんしょーがないよw

たとえば動物の中には子殺しといって自分の子供を食べちゃう生物だったり共食いをしちゃう生物も存在する。

これを人間に置き換えてみても自分は理解できないけど、理解できる人間(カニバリズム的な?)も存在するかもしれない。

もし、そんな人が近くにいたらあなたはその多様性を受け入れれるでしょうか。自分には無理だなぁ食べられちゃうかもしれないもんw

そんな道徳に外れたことしてるやつ人間じゃないって?

でもさ、その人もまごうことなきホモ・サピエンスなんだよ。それに道徳も長い間、文化や社会が作り上げただけの1つのレールであると考えるならば、当然その反例が生まれてしまうのも1つの多様性なのではないかなと思い出したらキリがないよね。

すげえ極論だけどこれはw

でもカニバリズムが一定数は存在するのは事実だし、そういう多様性を受け入れることが難しいのであれば、多様性社会の実現のためには他人の多様性に"無関心"になるしか手段はないのではないかなと自分は思う。人間が種としてではなく各々が「個」として生きていくしか多様性社会を実現するためには手段がないじゃんって思う。

多様性を訴ることはただ自分の領域を拡大したいというエゴイズムであって、本当の多様性とは"無関心"の上に初めて成り立つのではないのかと。

そんなん嫌だし、なんか寂しいじゃん?

でもさ、これからもっともっと技術が進歩していくと、心の余裕(ヒマ)はどんどん拡大されていって、多様性がもっともっとややこしいことになって、多様性を受け入れることも もっともっともーーっと難しくなってしまう気がする。他の多様性の理解までの距離がどんどん遠くなってしまう気がする。

そうなってくると、同じ多様性同士で固まって他の多様性の人々を恐れたり、理解できないと遮断してしまうことが嫌でも起きてしまう気がする。

今は、"人間"としてみんなでカテゴライズされているけど、"人間"という枠組みが壊れてしまう日も将来起こるかもしれない

俺は人間だけど、お前は人間?
いや、人間じゃないか。
お前は誰だ?いや、なんだ?


科学技術がどんどん分かれていく多様性を結ぶリボンみたいな存在になればいいのにね、なるといいなぁ。

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