素人の思い付きと言い方の問題

 その分野の素人が思い付きで発する「◯◯をすればいいのに」「どうして◯◯をしないのか」みたいな意見は、大抵すでにプロが検討し、捨て去ったものである(ので、いちいち言わなくていいよ)、というような話題を見かけた。

 もちろん、素人側の自戒として「もしかしたらとっくに検討されているアイディアなのかも」という意識をもっておくのは大事だ。
 ただ、「素人がいちいち出しゃばるなよ、鬱陶しい」といった方向性の意見については反対しておきたい。たとえ100人のプロが検討済みの事柄でも、まさかの盲点となっているケースはゼロとは言えないからだ。

 プロの立場からすると、本当の”素人意見”は余計なものでしかないことが多いかも知れないが、内容の良し悪しとは別に、言い方の問題という面も多分にあるのではないか。

 たとえば、自分の意見が正しく当たり前のもので、いやしくもプロの連中はこの程度のことも考慮していないのだ――みたいな調子で意見を開陳するなら、それは鬱陶しがられて当然だ。
 専門性への敬意に欠ける上に、狭い視野から生み出される思い付きが優れたものであるかのような驕りを伴う姿勢は、最悪とまでは言わないにせよ素人の中でも下から数えたほうが早い部類だろう。

 しかし、

① 自分は(素人なりに)◯◯だと思う
② しかるに、実際にはそうなっていない(ように思える)
③ その理由はなんだろうか

 といった具合に「自説の主張」ではなく「現状への疑問」という形で意見を発するなら、そこまでを封殺しようとするのは専門家といえども妥当ではないと思う。疑問は思考への第一歩だからである。
 緊急事態の場合を除いて、こうした疑問の提出も許容できないとすると、疲労やストレスなどで冷静さが失われている可能性を考えたほうがいい。苛立っている専門家も、それはそれで危うい存在であろう。


 大前提として、素人は特定の分野に関して意見を述べてはならない、ということはない。ただ、専門家の知見に対する尊重は必要だ。これは、専門家をチヤホヤしていい気にさせたいからではなく、尊重されない専門性には価値がないからである。たとえば、キノコの専門家による「それは毒キノコだから食べてはならない」という意見を誰も聞き入れなければ、大規模な食中毒事件が発生してしまう。こうした悲劇は避けるべきだ。

 そして尊重の程度がどこに表れるかというと、これは大部分が言い方である。ゆえに言い方の問題もおろそかにはできないのだ。

 逆に言うと、言い方にさえ気をつければ、あらゆることに対して疑問を呈したって構いやしない。宇宙のことだろうと、古代のことだろうと。

 言い方とは、いわば叡智にアクセスする際のドレスコードなのだと思う。



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