できないことを、ちょっとやる。
先日、家族が自家用車のタイヤ交換をしているのを手伝った。
手伝ったといっても大したことをしたわけではない。指示に従って車体の持ち上げとタイヤの付け外しの一部を行ってみただけだ。手順もわからなければ、器具の名称もわからない。自分ひとりで一からやってみろと言われても無理だろう。
それでも、やってみることには意義がある。
よく『できることをやっていこう』などといわれる。『得意分野で勝負しよう』なんていうのもその一種だろう。
実際、できることとできないことがあるなら、前者に取り組んだほうが効率という点でも、社会への寄与という点からも有効で有益だと思う(やっていて楽しいかどうかは別の話として)。
ただ、できないことは一切やる必要がないかというと、そういうわけでもない。やってみてできないことを知る経験も大事だ。
その理由のひとつは、謙虚になれることだろう。できることだけやっていて、半端な万能感だけ育ててしまうと、できないことが不可視化されて傲慢になる。たとえば、工事用具のひとつもまともに使えないのにブルーカラーを見下す手合がいるが、ああした人間は見苦しい。自分が完璧にできるがゆえに、できない人間を見下すのであれば、良いことではないにせよ一応の筋は通る。しかし、できない人間ができている人間を馬鹿にするのは道理に合わない。
やったことのない他人の仕事を軽んじられるのは、その難しさを知らないことに大きな理由がある。そこで、実際に取り組んでみることにより、リスペクトが生じやすくなるわけだ。
また、できないことができるようになるのは成長だ。場合によっては、もともとできることに対し、何らかのプラスをもたらす可能性もある。
自分の専攻分野に別分野でのコツが活かせるといったケースは決して珍しいものではない。幅広く手を付けてみるのは、効率的ではないが有益であることがある。
とはいえ、できないことばかりにかかずらっていたら、他人との比較で優位性を主張できるポイントがなくなってしまう。
そこで重要なのが「ちょっとやる」というバランスなのだと思う。
もう少し具体化すると「わかっている他人に教わる」ということだ。たとえばタイヤ交換なら、一から本や動画を漁って自分ひとりでやろうとすると相当な時間と労力がかかるが、知っている人から教わりつつ取り組めば時間もかからず、要所要所でのコツもアドバイスしてもらえる。
コミュニケーション能力が大事なのは、単に他人と仲良くやるためだけでなく、自分のできない領域にまで他人を通じて手を伸ばせるからだと考えている。
できることをやる、だけでなく、できないことに膨大な時間を費やす、でもない。できることをちょっとやる姿勢。これがちょうどよい塩梅なんじゃないかと思っている。
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