ただ行動するのと行動力があるのとは別

 生きるうえで大事なのは行動力だと思っている。
 行動は、ありとあらゆるサービスを享受するための前提だからだ。行動しないと何も恩恵を受けられない。

 たとえば店で日用品を買うにも、店舗へ行って商品をカゴに入れ、レジへ運び、お金を支払うといった一連の行動が必要だし、ネット通販でも店や商品を選択し、クレジットカードを登録して決済するといった行動を抜きにはできない。

 旅行するにも動画サービスを利用するにも、服を買うにもレストランで飲食するにも、何かしらの行動は不可欠だ。行動しない人間にとって、人生を豊かにするために生み出されたすべての商品・サービスは存在しないのと同じなのである。


 行動といっても、寝たきり状態などの人を除いて物理的に動けないケースはそうそうない。想い人への告白にせよ高所からの飛び降りにせよ「できない」ことはない。少なくとも働きかけすらできないということはないのだ。

 にもかかわらず行動しないままの人が多くいるのは、肉体ではなく精神に壁があるからだろう。そしてその壁は1枚ではなく幾重にもある。

 まず、始めから最後まで立ちはだかるのが「気力の欠如」という壁だ。やる気がないから億劫で行動できないのである。
 気力が湧かない理由にもいろいろあるが、具体的な手順がわからないからという場合が少なくない。現状の課題(不足や不満)は感じていても、それを解決するために何を、何から始めればいいのかわからないのだ。採り得る選択肢を知らないために効果的な道を選べないケースもあるだろう。

 また、「怖れ」が壁になっていることもある。未知のものが怖くて動けないとか、保護者に抑圧されていて新しいことに手を出せないとかの状態だ。
 このようなケースでは情報収集力に加え、保護者から離れる、上手く説得するといった道を模索する必要もあり、解決の難易度は高い。


 いずれにせよ、行動力とはただ無鉄砲に動き出す力ではないと思う。行動の前提として「これをやったら何か良さそうだ」という動物的な直感か、具体的な選択肢や行動の手順を知るための調査能力が要求されるためだ。

 年配者の話では「やったこと」の後悔より「やらなかったこと」の後悔のほうが多く耳にする。せっかくさまざまな物事が世に溢れているのに、自ら動いて体験しないのではもったいない。

 行動を阻害する壁を自ら探り、打破できる力も含めてこその行動力なのではないかと思う。



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