インバウンド価格に怒る感覚がピンと来ない

 景気の良い海外から日本へ旅行に訪れる人たちは、円安の影響もあって羽振りがよい。だから日本人から見て高いと感じるような値付けの商品でも気軽に買える。
 そうした訪日旅行客をターゲットにした高めの設定価格が、いわゆる「インバウンド価格」である。

 ホテルへの宿泊が1泊10万円、海鮮丼が1万円、といったニュースを見たことのある人も多いのではないか。

 このインバウンド価格に対し、主に日本人の中から批判的な声も上がっているようだ。その理由が個人的にピンと来ていないので、こうして書いてみることにした。


 まず、インバウンド価格への批判・否定・怒りといった反応としては、このような記事やQ&Aサイトの書き込みが参考になる。

 これらを見る限り、単に「貧しい日本人が高値で買える外国旅行客に嫉妬して叩いている」という形ではなく、モラルの低下や、将来のビジネスを見据えた信頼性リスクを問題にしているようだ。
 もちろん、仮に本心で嫉妬していたとしてもあからさまに嫉妬だと表明する人は少ないので、そのへんの本音は不明だが、一応は言及されている点に限定して見ていこう。

 モラルの低下は、つまり「ボッタクリ」だというのである。たとえば日本人相手なら高くても2480円くらいで提供するような海鮮丼を、外国人旅行客には8000円だの1万円だので売りつける。これは不誠実な行ないではないか、という理屈だ。

 将来のビジネスを見据えた信頼性リスクとは、円高に転換したときに海外客は来なくなり、かといって日本人はインバウンド価格で商品を買おうとはしないため、商売が成立しなくなるのでは、という懸念である。このような短期的・刹那的なビジョンでよいのか、との問題提起だろう。

 これらに加えて、今まで数千円程度で買えていたものが数万円に値上がりしたことで買えなくなった日本人の困惑や焦りも、もしかするとあるのかも知れない。


 さて、個人的に思うのは、これらの批判や怒りは、モノ・サービスの値段がどのように決まるかについての根本的な無理解に由来するのではないか、ということだ。

 モノ・サービスの値段は絶対的なものではなく、需要と供給によって変動するものだ。そもそも貨幣自体がそうだから円安だの円高だのとなっているわけだろう。

 したがって、今まで3000円だったものが、何も中身が変わっていないのに1万円になったからボッタクリだ、という発想は不適当だ。大体、この考え方だと、お盆や正月にホテルや旅館の宿泊料金が高くなる理由も説明できないではないか。

 あくまでも海外から旅行に来る富裕層の需要に向けての商品なのだから、値段が(日本人から見て)高めに設定されるのはごく自然な経済の仕組みに基づくものだ。


 また、インバウンド価格を批判する人々は、訪日旅行客がすでに「自国で同じものを買うよりもずっと安い」と述べている事実を看過している。
 1万円の海鮮丼は、外国で食べると2万円、3万円相当の値段であり、だから日本で食べるほうが安いというわけだ。

 では、そもそも外国で2万円くらいの商品を日本では3000円くらいで売り出せるのはどうしてかというと、原料や人件費を低く抑えているからである。ある意味で、買い叩きだ。

 それでも国内で経済を回しているうちはいい。問題は海外の人々に売る場合だろう。日本人の労働力を安く買い叩いて得られた低価格品を、そのまま海外客へ流すということは、要するに間接的に日本人の労働価値が海外へ流出しているのと同義である。

 幕末には、国内における金と銀の交換レートの設定から、金が外国へ大量に流出したという問題が起きた。安価な商品を通じた労働力の「安すぎる見積もり」は、それを彷彿とさせる。

 上に挙げた東洋経済の記事では、以下のようなくだりがある。

「いくら相手が富裕層といっても、こんなことでいいのだろうか。出したい利益を初めに決めておいて、それを丸々乗せているのだから。通常のビジネスなら、ここまで頑張ってディスカウントしますというのが普通のはずなのに」と社員はため息をつく。

インバウンド客相手にボロ儲けする悪い奴ら|東洋経済

 ここには、二重三重の心得違いがあるように思われる。
 まず、そもそも海外の客は、こちらが低価格を謳わなくても円安の関係ですでに安いと思っているという事実がある。
 次に、ディスカウントという方法はビジネスにおける競争の一手段でしかなく、質で勝負するといったやり方もあるため、ディスカウントは「普通」ではないということ。
 さらに、値段以外の要素でいくらでも商品やサービスを選べる富裕層相手に「安くするから我が社を選んでください」という売り方をするのは、まったくの見当外れであるということ。

 このような不適当な思い込みに立脚して「モラルが崩壊している」などと言い出すのであれば、なるほど、ろくなサービスは提供できまい。


 敢えて「日本をいかに豊かにするか」という括りで考えるとするなら、行うべきはインバウンド価格を日本人価格の水準に低く抑え、海外客に平身低頭することではない。

 堂々とインバウンド価格を取り、それで得られた利益を人件費や設備投資に回して、日本人の購買力と経済力、そしてモノやサービスの品質を上げていくことだろう。そのためには、もっと値上げしてもいいくらいだ。

 インバウンド価格をやめて値下げしろというのは、等しく貧しくなろうという提案と同じようなものであり、当然海外の国がその提案に乗る理由は皆無なので、日本だけが貧しくなって終わりである。


 インバウンド価格は、不景気が進行しつつある日本において貴重な、外貨を稼ぐ緒のひとつだ。国内で生み出せる利益だけでは限界があるので、豊かな海外からお金を得る。その取り組みの表れがインバウンド価格である。

 それを、海外客が「高い」とクレームを付けるならいざ知らず、日本人が叩くのはまったく解せない。富裕層に安く売ってあげようとするのは、商売における誠実さではないのだ。
 安いかどうかでいうなら、円安の時点で海外よりも安い状態になっているのだから、それで十分であろう。


 日本のように資源や人口があまり多くない国では、「安く早く多く」の売り方をしていると早晩行き詰まる。
 ある程度高かろうが、それに見合った品質のモノ・サービスを提供すること。その方針で国内の意見をそろえ、ブランディングしていくほうが、目先の「安く売る商売」などよりもよほど将来性があるのでは、と思う。



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