必要じゃないことこそ話したい

 合理性だけを考えるなら、必要ではないことはいちいち口に出さないほうがいいのだろう。
 ここでいう「必要ではないこと」とは、①相手に情報を共有しなくても差し支えないこと、②相手からの反応や回答が不要なこと、③相手が別に求めているわけではないこと、である。

 コミュニケーションにおいては、「ただ聞いてほしいだけ」と「回答を求めたいこと」がしばしば対置される。性別に絡めて、男性/女性はこういう傾向、などと論じられることもある(が、個人的に性別は関係ないと思っている)。


 情報のやり取りにこそ意味があるのだとすれば、会話や話しかけではその内容が大事で、話すことには目的がなければならないことになる。その意味では、「ただ聞いてほしいだけ」で話すのは無駄という結論になるだろう。

 しかし、自分が「何を話さなければならないか」ではなく「何を話したいか」で考えると、必要なことよりもそうじゃないことのほうが、話したい度合いは高い気がする。

 必要があって話すのは、別に会話を楽しみたいからではない。必要なやり取りでも比較的楽しくコミュニケーションできる相手は存在するが、それは相手のスキルが高いからであり、「会話の必要性がある」との事実に基づくものではないのだ。

 言っても言わなくても大差ないようなこと、情報価値は特にないようなことを気軽に話したい。


 ――と書いていて思ったのだが、たぶんこれは、必要じゃないこと、どうでもいいことを話したいというのもさることながら、そうしたことを話せるような関係性が心地良いという話なのかも知れない。

 親しくない相手、事務的な付き合いの相手、距離感のある相手、好ましい間柄ではない相手と、どうでもいい内容の話を気軽に交わせるかといわれれば、ちょっと厳しい。

 必要じゃないことを話せるのは、気の置けない仲だからだろう。
 いうなれば「人と一緒にご飯を食べたい」ではなく「親しい人と一緒にご飯を食べたい」だというのと同じようなことだ。


 ただ、ある程度年齢を重ねると、必要性を抜きにして気楽に話せる相手と巡り合うのは難しくなるように思う。

 それに、必要じゃないことを話すといっても、相手が誰でもいいわけでもない。ある程度、知識や文化、頭の回転、ノリ、嗜好、趣味、感性などが似通っていたほうがいい。そうでないとお互いに話がピンと来ず、気まずくなりかねないからだ。

 そうしてみると、話が合う他人は貴重だし、すでにそうした友人や知人がいるなら大切にしたほうがいい。「出会いがほしい」と思うときに想定する相手とは、そういう相手なのである。



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