人生の選択を間違わないために、神様から導きを得られる方法。
わたしには何も無い。
強いていえば、分析力はある。
だがそれもありふれたもので、私より優れた分析能力を持った人は周囲にごろごろいた。
芸術センスもあまり無い。
無いが、芸術が好きで、その能力を伸ばしたいという思いは強かった。
でもそれでも、今こうしてクリエイティブな仕事を自営業ですることができている。
また、霊感や直感だとかも鈍く、どう考えてもわたしの第六感の目は閉じられていた。
でも、それでもこれだと思う納得の真理を手に入れることができている。
持ってるものはとても少ないが、求める心は純粋だった。
「求めよ、さらば与えられん」
大事なのは純粋に求める心だと、この聖句は教えている。
わたしは霊感はなくとも、霊的なものへの関心は人並みに強かった。
わたしの愛と真理を見抜く目が鋭かったのだろうか?いや、決してそうでは無い。
わたしにあったのは求める心だけで、それ以外は何も無いのだった。
何もない状態で、どうして今まで苦しみながらも歩めてこれたか。
それは一重に、聖霊の導きがあったからに他ならない。
求める心は動原力となる。
人の脳みそだけでは、本物の愛と真理には決して辿り着けない。
導きが必要だ。
人にはそれぞれ個性があり、いろいろな形があり、色があり、音があり、纏う空気がある。
だからこそ適材適所、痒いところに手が届くように、人は千差万別異なっている。
歩む道もまた千差万別である。複雑に選択肢が交錯し、何を選びとるか常に選択が迫られている。
その人にとっての最善の選択をするためには、どうやっても高次元からの導きが必要だ。
では、導きを得るためにはどうしたら良いのだろうか?
それは神様を愛すること、これに尽きる。
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