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PLAN75を観て

 友人から知らされて、平日の夕方に池袋の映画館で
PLAN75を観てきました。
テーマが、高齢者の安楽死ということで、館内には若い人たちはほとんど
なく、中年の人たちがパラパラ程度でした。
 
 75歳になったら、安楽死ができるという架空の時代の映画です。
安楽死をテーマにした映画は、これまでに「楢山節考」や
「サイレントグリーン」などがありましたが、これは映画らしい
ストーリー性やファンタジーを排除して、まるでドキュメンタリー映画の
ように、淡々と老いの葛藤と死に向かう人の哀しい心情や姿を映し出して
いました。
映画「男はつらいよ」の寅さんの妹、さくらを瑞々しく演じてきた
倍賞千恵子がこんなおばあちゃんになったのかという寂しさを打ち消すような真面目な演技が、ただただ光っていました。
テーマもストーリーも得るところのない映画ですが、賠償千恵子の表現力でなんとか形になっていると思います。
監督のコメントで、自身は安楽死には反対だと書いていますが、
そんなの当たり前で、賛成としたら国が進めるかもしれない安楽死の
プロパガンダ映画になってしまいます。
 
 この映画のことを知らされる2,3日前に偶然、ユーチューブで成田悠輔というイエール大学の助教授の安楽死についてのコメントを聞いて、反発心を抱いていたところでしたので、強くこの映画を観るという気になったのでした。
成田悠輔は、日本には憲法論議で、国論を分ける大問題が2つあって、一つは憲法9条の改正、もう一つは安楽死の容認だといいます。
既にデンマークなどヨーロッパには容認している国もあるから、日本の超高齢化社会にあって、財政負担が過大になり、真面目に考える時期が来ているのではないかという持論を平然と吐露しています。
「老害、用のない老人は切腹せよ」なんて、ニヤニヤと軽い調子で発言しています。
選択的な安楽死から始めて、いずれは強制的な安楽死の制度を作らないと、若者世代に迷惑が掛かると語ります。若者たちの不遇は老人福祉への浪費が原因であると結論づけています。
それを周囲で聞いている若い人たちは、そりゃそうだと頷く場面が繰り返し画像に映し出されています。
老人の安楽死を当然のことと考える風潮を少しずつ作ってゆく意図が画像制作者側にあるとしたらとんでもないことだと反発を感じました。
確かに、安倍に続く菅首相の所信表明の中で、自助、共助があってその後に公助があると表明していました。もう最初から国としての義務を放棄した
発言でビックリしたものです。
憲法では国は国民の生命財産を守り、尊厳ある生活ができるようにすると明記されています。
国は国民誰一人、見放してはいけません。政治家は国民の税金でその為に
働いているのです。
為政者が「自己責任、自助」を言い出すというのは、義務違反です。
この映画には、国の制度として高齢者をあの世に人工的に送り出すということを危惧するという意図があると信じたいところですが、ゆでカエルの法則のように少しずつ世論を誘導してゆく一貫としたら怖いことです。
 
 映画の中では盛んに「生まれてきたことは選べなかったけど、
死ぬ時くらいは自分で決めたい」という価値観を語りかけるシーンが
随所に出てきます。
自分の人生を自ら閉じられる人が凜々しく美しいという価値観を植え付ける意図が為政者にあるとしたら、断固として反対しなければなりません。
 
 神を持ち出すと話しは直ぐに終わってしまって、それ以上展開しないことは分かっていますが、人の命は人知を超えた現象であって、理路整然と冷静に知的に捉えることのできない問題です。
 与えられた偶然の命であれば、偶然の中に自然に命は終えるべきです。
そこに、自死や安楽死の入る余地はありません。
糞尿にまみれ、這いずっても生きてゆくという気概が大事で
自ら命を絶つことは不遜だと思います。
大いなる存在への裏切りです。命は全うしてお返しすべきものです。
 
 このところマスコミでは、老人福祉の経費が膨大で、日本の経済発展の
足かせになっているとオブラートに包みながら論じています。
本当でしょうか。国は先のオリンピックで7000億円の予算に対してなんと倍の1兆4000億円を使ってしまいました。
そして国は責任の所在を非公開、あやふやにして、なかったことにしようとしています。
事ほど左様に日本では無駄な支出があいまいなままで浪費されています。
これに比べれば、老人を養う費用なんて大したことはありません。
それに老人福祉のお金は、給付金などのように貯蓄に回って凝り固まって
流通経済の役に立たない、というようなものではなく、医療でも老人ホームでもサービス経費がほとんどで、そこに繋がる産業が大いに潤い、
巨大な雇用環境を提供していて、すべてGDPにプラスカウントされることばかりです。
 
 経済の根幹は「需要」であり、老人福祉は需要そのものです。
ピラミッドも仁徳天皇陵もフーバーダムも、みんな人工的に需要を作り出して経済を回したことは自明です。
老人が幸せに生きられる国こそ、豊かな国です。日本の異常に積み上がっている個人金融資産2000兆円の多くは老後の不安のためのものでしょう。
国民が老人達の豊かで幸せな生活振りを見ていたら、
貯蓄から消費に向かうに違いありません。

 老人たちは、大手を振って寿命が来るまで生きればいいんです。
目くじらを立てている若者達だって、いずれは老人になる訳で、
そのリアリティが今は薄いだけのことです。
明日は我が身と感じることが難しいことは良く分かります。
自分も若い頃そうでしたから。
 


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