見出し画像

【考察】カノトイハナサガモノラ


こんにちは。

自己紹介もおいおいするとして…
このnoteをつくる最大の理由であり、タイトルにもあるカノトイハナサガモノラについての考察をしたいと思います。

まず、カノトイハナサガモノラとは?


V6の年長3人組・20th Century(トニセン)が2019年夏に演じていたTTTという舞台のことです(※ここでは便宜上舞台ということにさせていただきます)

開演から1年強悶々と考察をまとめては消し、まとめては消しを繰り返してきたわけですが、「いや、まぁ全部まとめて書かなくてもいいか」という結論に至り、今回思っていることをバーッと書くという強硬手段をとることにしました。

多分これから書く考察はところどころ矛盾点や不自然な点があると思いますが、そこはなんとか御容赦願いたく思います…笑

追記:かなり誤解を招く表現含みます!それもまとめて後日加筆したいと思いますが、念の為何でもドンと来い!と言う方のみお進み下さい。

⚠️注意 以下、ネタバレあり⚠️

結論からいうと、きっとソウルターミナルにいる彼らは、「アイドル」という職業に何かしらの疑問がある、という解釈に落ち着きました。

結論への筋道を、下手なりにつらつらと書いていこうと思います。


●ナガノのソロ

歌って踊ることは使命なのだと言ったナガノ。
でも、使命は必ず自分がやりたいこととは限らない。
→アイドル≠自分のやりたいこと…?
そして、バンドメンバーへの問いかけ「どこかで自分を納得させているだけじゃないの?」
ナガノにとって"アイドル"という居場所はどこかで自分を納得させている場所なのか…?

そして流れるstranger than paradise。
"風のように鳥のように形のない自由がいい"

上半身(顔?)が求められるアイドルだからこそ、脚が切り離されるというマジック。そのナガノが「自由がいい」と歌っているところに胸を締め付けられたという解釈を見て、とても納得しました。

"アイドル"である彼は、アイドルである限りきっと自由は無いし、アイドルが足枷となってどこにも行けないのかもしれない。

実は、ナガノが"自由"という言葉を使うのはもう1回あるんです。コバルトブルーが終わって、オーナーがいないから出てきたバンドメンバーに対して。
「自由だねー」

ここ、観劇当初からとても気になっていたんです。舞台がはじまる前からずーっと座っているバンドメンバー。そして、そのあともずっとそこにいなくちゃいけない。自由であるはずがないんです。
なのに、なぜ「自由」という言葉を使うのか。
それは、ナガノ自身が自由ではないから、だと思うんです。それは、コバルトブルーの後だからこそ、少し思うことがありました。



●サカモトのソロ

イノハラの「ずーっと思っている」言葉をなかなか受け止められないサカモト。
多分3人の中で1番変化を恐れている人だと思う。
ずーっと思っていることが世に出てイノハラから羽ばたく瞬間、きっと3人の関係性は変化する。それを恐れているんじゃないかと…イノハラは純粋な気持ちで何にも悪気はないから余計に怖い。

だけど、サカモトも今のアイドルという職業が自分にあっているとは思っていない。
写真が苦手なサカモト。楽にしてって言われると緊張しちゃう。
これは、赤いタリーをみると緊張しちゃうという坂本くんを思い出させました。御徒町さんはそれをモチーフにしているんじゃないかな…

そしてそして"おんな"との場面。
アイドルであるサカモトにとって、恋人関係は禁忌なのでは…?多分彼女と一緒では表立って歩けないんじゃないかと思う。
そんな彼女からのここじゃないどこかへ連れて行って欲しいと言う願い。
彼女の鬱屈とした気持ちをサカモトはアイドルである以上は晴らせない。一緒にどこかへ行ってしまいたい気持ちと、アイドルである責任感や誇りとかがぶつかってあの叫びに繋がったんじゃないかと思うのですよ。


●イノハラのソロ

自らなろう!と思ってアイドルになったイノハラ。なんでなろうと思ったのか?答えは"遠いところへ行きたい"アイドルならなんにでもなれるんじゃない?そう言っていた仔イノだったが…

「何なんだろうな、この景色は」

イノハラのこの台詞、私はとても苦しかったです。アイドルになれば何にでもなれる!どこへだって行ける!と信じていたのに、イノハラが口にした言葉は
「遠いところか…どこだろうな、それ。」
今のイノハラのアイドルの姿では、どこへも行くことが出来ない…?目指していた景色を見ることは出来ていないのか…?と苦しくなりました。

その後の、仔イノの「やっぱり俺、アイドルになるよ!」からの「アハハ…そうしな! …で?それからどうする?」の真顔ともとれる何とも言えない表情にぐっと心を掴まれました。
自らの夢をキラキラとしたものとして語る仔イノと、それを眩しそうな目でみつめるイノハラ。眼差しは優しいけれど哀しみを帯びる目…
イノハラは、子供の時に描いたキラキラしたアイドルの姿と現実の狭間でゆれている様に感じました。それと、ここにナガノとイノハラの関係性を覗き見たような気もするのですが…これは、また後日機会があれば書きたいところ。

曲が終わりに近づき、仔イノの声を担当していたナガノも、本人であるイノハラもいなくなった所にはなんだか坂長がいなくなって1人になってしまったJrの井ノ原さんを彷彿とさせました。優しく笑い、ステージを譲るイノハラと、イノハラの後を引き継いでハーモニカを担当するオーナーの手によって導かれ、ステージの上でお辞儀をする仔イノはアイドルという険しい道の第1歩を踏み出したようなそんな気がします。

●ナガノの「ずっと思っていたこと」から推測する3人のアイドルへの囚われ

①ラーメンの王道は本当に醤油なのか?
→アイドルの王道とは?
②コーンはラーメンのトッピング足りうるのか?
→変化球を投じるアイドルはアイドルとして足りているのか?
③ラーメンを食べている時ラーメンはラーメンとして充足しているのか?
→消費者(ファン)はトニセンを見ている時アイドルとして充足しているのか?

これの答えとして、イノハラは「ラーメンだチャーハンだとか言ってると、みんなお腹すいちゃうじゃない」これにナガノは納得している。
→つまり、大量消費のこの時代、アイドルを「その人自身」として消費するのではなく、「アイドル」としてファン(消費者)は消費しているのではないかってこと…?

●オーナー・バンドの存在


三者三様で「アイドル」について囚われている3人。
ここで登場してくるのがオーナー・バンドの存在です。
そもそも彼らは一体何なのか?
私は、彼らを応援する「ファン」の集合体なのではないかと思います。
だから厳しい言葉も、助言も与える。時には感情的になりながら彼らの動向を見守る…

●物語の終わり方

なかなか答えを見つけられずにいる3人にいよいよ痺れをきらしてきたオーナー。
ここで、「言葉は、言葉でしかないんだよ」
と言う助言を彼らに与えます。
「言葉は言葉でしかない」
→「アイドル」もただの大枠であり、それを充足させるには「アイドル」が輝くのではなく、「その人自身」が輝くことが大条件であること。ファンも「アイドル」というアイデンティティを愛すのではなく、「その人自身」の輝きを愛すこと。

輝くためには、時にアイドルという看板を降ろさなくてはならないかもしれない。3人の魂も、わかれなくてはならないかもしれない。だけど、輝き続ければ、いつかどこかに行けるかもしれない。それぞれの夢に向かって歩き出せるかもしれない。

1度「惜しいところまでいった」20th centuryとしてのエンドは、バンドになることで、本当の音楽をきき「アイドル」 でいることはやめたが「3人である」ことは辞めなかったため、脱出できなかった…?

2回目は3人の曲ではない「愛なんだ」を歌う、またお客さんに背を向けて3人バラバラで会場をでる(アイドルとしては禁忌では…?)行動をすることによって、「3人である」「アイドルである」ことの脱出を試みたのでは…?

●本当のエンド

ふぅ…さてさて、エンディング映像も流れたしこれで終わりか…えらいきついお話だったなぁ…なんて思いながら3人のアフタートークをきいていたらなにかおかしい。
「今日?」「昨日?」「明日も張り切っていこうと思います!」
なになにその表情ー!!!

そう、このお話にアフタートークなんてない。全部がお芝居だったのである。


衣装V6のデビュー衣装のオマージュみたいだけど、よくみたらカノトイハナサガモノラのテープが巻きついているやんけー!!まだ「3人であること」に囚われとったんかー!

思わずつっこんでしまいそうなエンディング。ひっくり返る。

そしてそしてひょっこり顔をだすバンドメンバーとオーナー。
「ラーメンの王道は、とんこつだと思うな!」
「で、いつまでいんの?」

ひぇぇぇぇっ
まだ終わってなかった。この作品にエンディングはない!ずっと無限ループなんだ!この3人、永遠にソウルターミナルから抜け出せないんだ!!

●結論

????????????????

わからん。分からないのだ。どう考えてもこのカノトイハナサガモノラを言語化させるのは難しすぎる!!

私の考察メモにこんなのが書いてあったのでこれを貼って逃げるとしようかな。

(以下原文ママ)

頭→言葉に変換することは、とても大変なこと。だって頭の中は言葉で考えているわけじゃない。感情や色も混じってごちゃごちゃになっている。だからなかなか言葉がでてこない。
それは舞台だってそうで、言葉でストーリーは繋がっていくけれど、言葉だけじゃない。
その間だったり音楽だったり、役者の表情だったり、色々なアプローチで客の心に訴えかける。
だから、これは舞台として表現したんじゃないかな…



はい!

書こうと思って力尽きたことが多いし、1回みるごとにあらたな発見があるから、またいろいろ追記していきたいことはいっぱいあるけれど、とりあえずまだ結論には至っていません。
もう、みんな可愛かったで終わりにしていい…?