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命日

「命日」って、みんな何のために大切にしているのだろうか。

わたしが死んだ側だとしたら、残されたみんなに思い出してほしいのは間違いなく誕生日や記念日であって、決して自分が死んだ日ではない。
自分のことを思い出してもらうにしても、死んだときのつらい思い出じゃなくて、一緒に過ごした日々や面白かったことを思い出してほしい。

だから愛猫の命日も、あえて何もしないことに決めた。
最初はお供え物をしたり思いを馳せたりしていたけど、亡くなった日はとてもつらい日でもあったので、あの日を思い出すとどうしても泣いてしまう自分が嫌だった。愛猫に心配をかけたくなかった。

命日なんて気にしなくても、ことあるごとにかわいかった日々に思いを馳せているので、わたしと愛猫の間には命日なんて必要ない。


命日を忘れないようにするのって一体、誰得なんだろうか。得をするのは、一周忌とかの法事で呼ばれるお坊さんなのではないか。

なんなら命日のような特別な日を制定することで、特別な日にさえお供え物をしたり手を合わせたりしておけば、何でもない日は放置していいみたいな空気さえ生まれるのではないか。

わたしが死んだ側だったとしたら、命日とかお盆とか関係なく、その時々でおいしそうなものが発売されていたらお供えしてほしい。スタバの期間限定フラペチーノとか、月見バーガーとか、バーガーキングの新作とか。

だから、命日なんて気にしなくていい。
自分が思い出したときに思い出せばいいと思う。

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