過去の手帳を、現在のワタシが読む。やっぱり書いててよかったと思う。
🔴過去の日記を久しぶりに眺めてみた
こちらの記事で書いたように、毎日手帳とは別に日記をつけていて、13日間ごとに振り返ってますが、
1月15日は、note投稿用に過去の手帳を引っ張り出して、パラパラ眺めてました。
過去の手帳を眺めて、こんなことを日記に書いていたワタシ。
こんなに仕事が多くてきついのに、晩ごはん作ったり、イライラする自分を責めている。やっと心からはみ出た不満を手帳に書いている。でも一部だ。うわー。これじゃ体調悪くなるわー。事故るわー。〇〇さん(元旦那さん)ともケンカになるわー。・・・うまくいく感じが、もうわからなくなるよね。しかし手帳って、やっぱり読者がいるな。それは未来の私だ。
🔵気づいたことが二つあった
この時、思ったことが二つあって、
一つは、「いつも職場にも持ち歩いてて、誰にも見せなかった手帳にでさえも、自分の本音を全部書いてなかったな〜」。
二つ目は、「日記ってやっぱり未来の自分が読者だな。」
です。
これ、古賀文建さんの『さみしい夜にはペンを持て』にも同じこと書いてあったな〜、と思い出しました。
まさに、未来の自分が読んでいる。
書いているときは、見返そうとか、見返すために書こうとはまったく思ってなかったけれど、読んでますね。未来の自分が。
一つ目の方は、“あんなに仕事していて、その上こんなに頑張ろうとして、頑張っていたのか〜”、と思ったし、
それ以上に、“もっと本音書いてたらよかったな”、って思いました。
🟢ネガティブな本音が、手帳にあまり書けてなかった
ネガティブに思ってる本音は、あまり手帳に書きたくなかったんですよね。あの時のワタシは。多分。
そういうこと、ありませんか?
まぁとにかく、その時は、つらいことをどう乗り越えようかと、必死でした。余裕ゼロ状態。
でも、本音の行き場がないと、体の不調に出てしまう。
時には交通事故にも遭ってしまう。
溜まってしまったつらいものは、出せる場所に出した方がいい。
身近な人がいればいいけど、そうでない時もあるし。
手帳とかノートは、一人でできて、どんな自分も受けとめてくれる大事な場所だな〜、と思いました。書いてる時はわからなくても、結果そうなってる。
🟡過去の自分に触れることで、あらためて気づくことがある
二つ目は、古賀さんの本を読んで、なんとなくそうだな、と思っていたことが、“未来の自分が読む”という、まさに自分の体で実感したことにきっと価値があると思います。
読んでみて、ただ“ふ〜ん、そうか〜” じゃ、終わらなくなる。
過去失敗していたら同じ轍は踏みたくないし、じゃあ、今度はこうしてみたらいいじゃない?と自分で自分に声かけられる。
noteに投稿するというきっかけがなければ、過去の手帳はしばらく引き出しに眠ったままだったけど、こうして再び開いてみて、気づくことがいろいろあってよかったです。
これからもどんどん書いていこうと思います。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!
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