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7年前の夏、私の人生が変わったはなし

人生にはいろんなきっかけによってガラッと変わる分岐点があると思います。

私にとって一番の分岐点は33歳の夏でした。
当時広告代理店でWebデザイナーとして働いていたのですが、朝から終電まで仕事、休みの日も平日終わらなかった仕事をするような日々が続き、どんどん自分の感情が死んでいくのを感じました。

そして体力が限界に来て、通勤途中で倒れてしまいそのまま救急車へ。その時が私にとっての分岐点だったと思います。

結果鬱状態と診断され休職へ。
今まで頑張ってきた仕事が全部手から離れていき、まるで大切に育てた我が子を無理やり引き離されたような感情に苦しみました。

全てを無くした。

そんな絶望の中、一旦環境を変えてみようと昔から好きだった台湾へ。

通じない言語、いつも笑っている台湾のおばちゃん達、すごい熱気と優しい人たちに何度も救われました。

日本で生活していた時当たり前に思っていたことが、実は自分を苦しめていたことに気づいたんです。

「情報量の多さ、画面の中の制作物と戦う日々に人間らしさを奪われていってしまった」
人と人との繋がりが大切なこと、温かさが大切なことを忘れてしまうと私は壊れてしまうんだって、台湾へ行って気付かされたのです。

そして、仕事でSNSマーケティングも携わったり勉強したりしていたので、自分が好きな台湾について自然と発信するようになりました。

「住んでいるように旅をする」そんなことを意識しながら、発信していました。するといつの間にか、それを見た他の台湾好きさんが話しかけてくださって、情報交換をするようになって、どんどん友達が増え、自分の居場所が出来ていたんです。

何もなかった、何者でもなかった私から、ここに居てもいい、ここがあなたの場所ですと言ってもらったみたいに嬉しくて、本当に嬉しくてその時のことは今でも忘れられません。

そして台湾と日本を行き来する日々が始まりました。

昔のようにフルタイムで働くことはできないけれど、日本では画面と向き合う日々、そして台湾に行っては街中を走り回る日々。
両極端のように見えるかもしれないけど、私にとってどちらの生活も大切な宝物です。

10年近くWebデザイナーとして働いてきて「キャリアや知識を積み上げていくこと」を目的にしていた私から一転、「人との繋がりを大切に、一つ一つ丁寧に自分にしかできない活動をする」ことが重要なテーマになっていきました。

パートや副業をしながらの活動なので大変な時は沢山あるし、いつまた鬱を再発してしまうかわからない怖さもあります。

7年経った今でも通院をしている状態だけど、昔と決定的に違うことはただ一つ「いつも元気や勇気をくれる人達がいる」ということです。

SNSなどで交流をしてくださる方々、グッズをお迎えくださる方々、イベントに来てくださる方々の笑顔を思い出すとグッと胸が熱くなるものがあります。

いつも本当に本当にありがとうございます。

特に何か節目を迎えたわけではないけれど、初心を忘れないためにもこの記事を書いてみることにしました。2024年はいつも仲良くしてくださる皆さんにお会いすることを目標に、今年も沢山笑顔が溢れる1年にしたいです。



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