9月

遠くの海や山に逃げたくなることある?

と聞かれた時になんとなく恥の気持ちからあんまりないな〜と答えてしまって終電が近づいたところで帰宅。帰ってからもそのことを考えた。
一緒に飲んでいた人は3日に1回はあるとのこと。

ICOCAに5000円ほどチャージして行けるところまで行ってみる。電車は車を持っていない人間からすれば安く、遠くまで連れて行ってくれる。京都の舞鶴。遠くの海とは言えない程の微妙な距離感。
実家の近くに海はあるし山だってある。そう考えれば自分の生活圏内のそれらから離れたそれは遠くの海ということになるのか。とか考えていたら電車でモシャモシャと手作り弁当を食べる女性。
向かいには明らかに怪訝な顔をする中年の男性。

いつも気になってはすぐ忘れてしまうことの一つとして、電車でのマナーやモラルというものがある。ドラマや映画で旅行に行くシーン等でお弁当やおにぎりを食べるシーンがある。それが観光列車であれどそうでなくても特段変わらず、モシャモシャと食べている。ボーッと観ている時、疑問に思う暇などそこにはない。匂いのキツいものは別、電車酔い等で食べ物の匂いが気分を悪くするのはわかる。でもなんとなくやめとこ〜みたいなあれは何?電車での会話がある。電車での電話はなぜダメなのか。なんでやねん!と大声で言えるほど特段気にもならないけどそんなことを思った。

車内で食べ終えたその人は満足そうにしていたので通勤等で憂鬱な気持ちでもない自分は良いねぇ〜と思った。そんなことを思ったのはほんの一瞬で読んでなかった本、もっかい観たいドラマ等を見たり、ウトウトしているうちに東舞鶴駅に着く。もう夕方前。

この時点で疲れもあり、正直もう海なんてどうでも良くなってきていた。後悔さえある。
何してんの?え?お前暇なの?と聞こえてくる。
全然関係ないのにこの前友だちと漫才をして頭がおかしくなるほどウケなかったことを思い出してさらに気分は落ち込む。その時に気づく。逃げたいのは遠い海や山じゃなく、家。もう遅い。
そんな自分を達観して愛おしく思えるほど心の余裕もなく、市バス的なものに乗ろうとするも失敗して一服する。

しばらく時間を潰して市バスに乗る。
海の近くに行けるバスと聞いて舞鶴とれとれセンターまで。魚介の魚介の部分が全面に出ている食べ物が苦手なので匂いに酔いながらもちょこちょこと食べて海に着く。実際バスの車窓から海は見えていたし、着く前から海はあった。着いてしまえばもう納得せざるおえない気持ちになり、一服して満足した気になる。ここまで来て海にも山にも逃げたくなることなんてないやろぉぉぉ!!!と腹から声出して言いたくなる気持ちをグッと堪えて帰りのバスを待つ。
帰りにはその気持ちは落ち着いて無駄な日ではなかったと自分に言い聞かせたり、ウトウトしたり、眠ったりして家まで帰る。

本当に海や山に逃げたくなる時が今後来るならマジでヤバいと狂気を遠目で見たような日。

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