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岩手奥地 渓流と山越えのミニベロ旅2005&06を回顧する pt1盛岡から龍泉洞

今となっては日本の夏が焦熱アフリカ化したのとわたしが歳をとって『暑いのイヤ』とか言うようになったのもあって、8月はもっぱら山荘でだらだら過ごすのを旨としているが、昔は夏にも毎年旅に出かけたものだ。そんな昔の夏旅を振り返ってみる夏のひととき。


岩手内陸部。
集落もまばらで人口密度の低さでも東北で上位に位置する山深いエリアだ。真の秘境と呼ぶに相応しい山林と渓谷を縫って、クルマもほどんど通らない静かな道が張り巡らされている。
もう10数年前の盛夏8月、わたしはその一帯を折りたたみ自転車で横断する旅を敢行した。盛岡から林道で山を突っ切り岩泉に出て、太平洋岸の野田に至るルートだ。あまりによかったもので翌年ふたたび同ルートを(少々改変して)走った。
それでもなおまた行きたいと思うほどいい旅だったので、その後も機会を窺ってはいたのだった。しかし山深い地域ゆえ、ある年は道路が不通になったり、そのうち震災で大変なことになったり、またある年は台風の水害で大きな被害を受けたりで、何度も見送りになっているうち今に至ってしまった。わたしも歳を取って、いま盛岡から龍泉洞までの長い道のりを完走できるのかも定かではない。

青線は2006年のルート 黄線は2005年のDay2

2005年の旅はかつてデータの扱いがぞんざいだった時代に画像ファイルを誤って消してしまうという惨劇があり、一枚も残っていない。であるから写真は2006年のもので回想していく。

2005年はBD-1カプレオ、2006年はKHS F20で走行した。前者はサス付きの快適性、後者は登坂性と快速に秀でたものがあったが、今思えば前者のほうが楽だったような気がする。いま行くとしたら両者の利点を併せ持つBD-1乙女仕様(リア34T)を出すだろう。

Day1 盛岡から龍泉洞まで

ルートの起点は盛岡の町だ。前夜ホテルに一泊し、翌朝走り出す。山に入ったらコンビニはおろか商店や自販機すらないので食料飲料をしっかり買い出ししていく。
市街地を抜け、米内川とJR山田線に沿った県道を辿っていく。ときどき数軒の家からなる集落を過ぎ、次第に道幅が狭くなっていく。一部区間は未舗装であった。道はどこまでも木立のドームに覆われているので八月の暑さも和らぐのだった。

ダート区間

山田線大志田駅までの区間はこの時さほど写真を撮っていない(以下の大志田駅の写真も2009年5月のもの)。
というのはこの区間は当時この旅以外でも幾度も走っているおなじみルートだったからだ。盛岡から大志田までを往復したり、南側を並行する中津川沿いの林道で戻ってきたりだった。

やがて秘境駅として名高い大志田に着く(その後2016年に廃止)。かつてうは交換設備もあった広い構内だ。家(保線施設?)もあるが無住である。

待避線(使われていない)があるだけの構内
一日三本。宮古に用のある人は前泊を要した

この先は峠を越えて山を降りた釜津田集落(途中戸数1の櫃取があるが )まで30km以上、全くの無人区間となる。

道は渓谷に沿っているので随所で清流に足を浸したり頭から水をかぶったりして涼を取ることができる。
一度泳いでみたら気持ちよかろうと思い、流れが落ち込んで淵になっているところに飛び込んでみた。通るクルマもないのですっぽんぽんだ。すると水面下には垂直方向に渦を巻く流れがあり、深みに引き込まれて洗濯機状態になった。うわやばいと思いとっさに手を伸ばしたところ岩を掴んで脱出できたが、のちに渓流釣りをする知人にその話をしたところ、そうやって浮上できなくなって死ぬ釣り人が結構いるということだった。よい子はマネしないように。なんといってもすっぽんぽんで死ぬのは名誉のためにも避けたいものである。

ヤバかった淵

県道が北に岐れると米内川沿いの道は櫃取林道と名を変える。これまでずっと平坦な道のりであったが次第に登り道となる。
高度が上がると渓流からも離れるが、随所に湧水があって喉を潤せるのがありがたい。
次第に空が大きくなってきて峠が近いことを感じる。

峠付近
峠付近は牧草地になっていた

盛岡から30km弱続いた登りも峠で終わり(眺望は無い)。
ここからはこの日の終点たる岩泉まで60km弱ひたすら下りである。このルートのいいところだ。ヒルクライムで流した汗も一気に乾く。

眺望もない山の中の道をひたすらうねうねと下っていく。ほとんど漕ぐ必要もない快楽ダウンヒルである。
やがて南北に走る県道大川松草線に交差するところにポツンと人家がある。櫃取集落の最後の一軒だ。(住所はこの先の釜津田集落の一部になっている)。
この家はその後喫茶店として営業しているようで、近年になってテレビにも出たらしい。

さらに川沿いに下っていくと視界が開け、やがて耕作地が現れ、人家が見えてくる。数時間ぶりに見る文明の断片にほっとしながらさらに下っていくと釜津田集落だ。岩泉方面から来ると最奥の集落になる。ここには商店や小さな旅館も一軒ある(現在営業中かは不明)。

釜津田

さらに下ると大川集落に着く。旅館もありここまでくるとずいぶんな規模の集落に感じる。

調べてみたらペリカン印のブリキ製バケツは今も生産されている

当時は街外れにJR岩泉線の岩手大川駅があったが、その後2010年の土砂災害が元で同路線は廃止になってしまった。

ここから国道340号線に入る。といっても一部区間は対抗困難な狭さでまだまだ秘境エリアが続く。今はなき岩泉線の線路が並行していた。

直進する国道340号の狭さに注目
よく訓練された鉄のわたしだが惜しくもブレた
浅内駅

国道456号に入ると道幅も広くなり、人里に出てきた実感がある。
岩泉の町に着いた。

このあと2007年からは新型の車両が導入される岩泉線だが、この時はまだ旧型のディーゼルカーが健在。塗色も旧国鉄色でいい感じだった。

岩泉の町にも宿はあるが、近くの名所龍泉洞周辺の方がツーリスティックで良さそうだ。
05年はせっかく来たのだからと龍泉洞温泉ホテルに泊まってごちそうを食べた。画像がないのが残念だ。
06年のときはバジェットを重視して別な宿に泊まった。龍泉閣というところだ。

ビールを計3㍑飲んだことがわかる
洗面所風呂トイレは共同

客も少なくスパルタンな宿で食事も質素であった。そのせいかその後廃業してしまったようだ。

肝心の名勝龍泉洞は見学していない。なんか人が多そうだったのと、時間の都合もあった。自転車旅のついでに立ち寄るにはあまりに大きく時間を要するツーリストアトラクションであるように感じたのである。
とは言えせっかくしかも2度も通ったんだから見とけばよかったのにと今になって思う。真夏でも洞内は10℃前後という極冷スポットとだいう。
その代わりと言ってはなんだが、2005年のDay2ではより手頃な大きさのマイナー鍾乳洞である安家洞に立ち寄るのだった(後述)。

Day2は太平洋岸の野田まで走る。(つづく)

追記
2006年のときは新幹線の新花巻駅から走り出し、わざわざ山の中を走る県道43号を経由して盛岡まで走るというDay0があった。
この日はたいへん暑く、思い起こせばあれは熱中症であったと診断できるほどのしんどさであった。道もそんなに面白くなく、しかし登りはきついという、ただ消耗しただけの一日だったのであまり意義を見出せない。

猫底という地名に惹かれる

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