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英国人のおもしろ旅本を読む 1 : イザベラ・バード 「日本奥地紀行」

(画像は「上山の美しい娘」)

英国人のトラベローグ

昔から古今東西の旅本をあまた読んできた。
とりわけ近年は電子本の普及に加えて、AmazonやScribd(現Everand。米国の電子本サブスク)のおかげで洋書まで濫読できる時勢になった。
そんな昨今、さらに多くの数の洋書に加え、これまで読んだ翻訳ものをも振り返ってみると、英語圏の旅本でコレは面白い!と思ったものは英国人が書いたものであることが有意に多いことに気づいた。

それはなぜだろう。
英国気質というべきシニカルなユーモアのセンスがツボにくること、七つの海を駆ける植民地経営や軍隊の遠征によって旅行スキルが鍛錬された国民であること、などが推測できるが、本当のことはわからない。とになく面白い旅本を書く英国人が歴史を通じて多いのは確かである。学校で習うのかもしれない。

そこでこれまで読んだ英国人の旅本の中からいくつか紹介してみようというのがこのシリーズである。

日本奥地紀行とイザベラ・バード

一回めは、なーんだと思われるかも知れないが、イザベラ・バード「日本奥地紀行」。
言わずと知れた、明治初期の開国間もない日本を横浜から北海道まで、通訳の日本青年をお供に馬を駆って旅行した英国女性のトラベローグである。近年まさかのマンガ化もされてさらに衆目に知られることとなった。
もちろん今回取り上げるのは漫画でなく原作のほうだ。

マンガではエレン先生のように描かれるバードだが、来日時は47歳のおばはんであった。
しかしこの旅行から帰ってまもなく、いきなり49歳で結婚したり、そのあとも70代までアジアやアフリカの旅を繰り返したりしている。侮りがたいおばはん、熟練のブリティッシュトラベラーである。

それはともかく本書において、横浜を出発して以来の前半では、各地での道路や宿泊事情の劣悪さ、沿道で目にする民衆の貧しさなどに接して、辛辣でネガティブな表現が綿々と綴られている。
しかし山形県の米沢盆地に入った途端、その風光と豊かさを絶賛してアルカディアと呼び驚嘆する。その突出した山形上げぶりは現在の山形県観光当局もとみに何かにつけて利用しているほどで、山形県民としても光栄の到りだ。
そこでこの機に、同書における山形県内でのバードの足跡を追ってみたい。

バード、置賜に入る

日光から会津街道を経て新潟まで来たバードと伊藤、その先山形県を目指したのは明治10年、まだ現在の国道113号にあたる新道が開通する前だった。したがって通ったのは旧越後米沢街道、峠越えが続く山道である。この旧道は現在も、当時と同じままの集落や峠を結ぶ県道としてトレースでき、わたしも何度か自転車で走っている。

二人は現在の県境を越えてまず玉川集落に至り、さらに朴ノ木峠から小国の町に入る。さらに夕闇迫るなか、現在も当時の石畳が残る黒沢峠を越えて(バードはここからが山形県と記しているが間違い)市野々に着いてようやく宿を得る。

歴史的な宿場だった市野々集落だが、横川ダム建設に伴い2008年に水没してしまった。
その前年の2007年、わたしはこのルートをサイクリングして市野々を訪れた。すでに住民の移転は済んで集落は無住となり、寺のイチョウの巨木を移転する工事が行われていた。
バードも見たであろう巨木は今も、高台に移転した寺の境内で水没した村を見守っている。

市野々からは桜峠を越え、白子沢を経て手の子に着く。そのあとで宇津峠を越えたとあるが順番が違う。峠は白子沢と手の子の間にあるのでバードの間違いである。

白子沢〜桜峠〜市野々〜樽口峠〜朴木峠〜小国 とバードのルートを逆に辿ったのがこの時のサイクリング。
市野々集落を見ることのできた最後でもあった。

その前の年に行ったらまだ冬季閉鎖中で、雪の上を押して歩いた時の話もついでに。

バード、村山から最上へ

意外なことにバードは米沢には立ち寄っていない。
東洋のアルカディアと感嘆したのは、小松から赤湯に向かう途中、置賜盆地の風景を俯瞰してのことであった。
その先、当初は赤湯で温泉に泊まりたいと考えていたバードだが、あまりの騒々しさにあきれたのと、共同浴場しかないことを知って、内湯のある上山温泉に向かう。赤湯温泉の歴史的不覚である。

そのあとも
「山形県は非常に繁栄しており、進歩的で活動的な印象を受ける。」
と絶賛モードは続き、県都山形を訪れた際も、概して好意的な印象を記している。
当時のオリジナル済生館病院(現在は霞城公園に移築)を見学に訪れたりもして、現在の市立済生館病院の敷地にはバードの記念碑も建つ。

しかし天童の先あたりからは絶賛ムードも下火になり、新庄などは
「みすぼらしい町である」
と無慈悲に斬りすてられている。
次の金山に向かう途中ではアブと蜂に刺され、金山の宿で新庄からの漢方医の往診を受けている。東洋医学に懐疑的な印象を記しているバードだったが、処方された外用薬で快方に向かってその効能を認めるに吝かでなくなったのだった。

その後のバード

バードの山形県の旅はそこで終わり、雨の中主寝坂と雄勝の二つの峠を越えて秋田県に入る。
今はどちらもあっという間にトンネルで抜けるルートだが、当時は難路の上に悪天候が重なり、ほうほうの体で院内にたどり着く。
そのあと向かった湯沢は「特にいやな感じの町」、
横手に至っては
「見ばえが悪く、臭いも悪く、わびしく汚く、じめじめしたみじめな所」と、何もそこまで言わなくてもいいんじゃないかと思うほどに容赦ない。山形上げモードの完全終了である。

そのあとバードは久保田(秋田)を経て青森、そして北海道に渡って旅を続ける。
アイヌ集落を訪ね歩いた際のその風物の仔細な記録は、和人との同化が進む以前、最後の期間の貴重な記録と言える。

さいごに

山形での道中の高揚と北海道のアイヌ民俗誌、このふたつが「日本奥地紀行」のハイライトといっても過言ではなかろう。
読み返すたび、英国人の旅力(たびりょく)、そして筆力に改めて感服せざるを得ない。

「日本の土地と住民に飽くなき好奇心を示し、持病による肉体的苦痛にも苦痛にも勇気を挫かれる事がなかった。彼女は自己の忍耐力の限界を試そうというマゾヒスティックな衝動に駆られていたのではないかと思われるほどである」

高橋健吉 東洋文庫版訳者あとがき

いま読める「日本奥地紀行」あれこれ

わたしが持っているのは東洋文庫の旧訳のほうで、平凡社から出ている文庫版も同じ訳者によるものだ。

その後になって新訳が出ている。

この版では北海道から帰るところで終わっているが、原本ではその後関西へと旅を続けた話が描かれている。その部分も含めて翻訳収録した完全版もある。

そして現在出ているコンプリートVer. はなんと全4冊にわたる。半分が注釈で占められ、かなり学究的な内容らしい。

上記の新版はレコードで言えばリミックス、リマスター、BOXセットに例え得るが、さらにはデモヴァージョンやアウトテイクス集に相当する書も出ている。

上記の「完全版」とされる版にも収録されていなかった、原著の初版以降で削除された部分を探し出して全訳したもの。
山形の部分でも、当時旅籠町にあった官製紡績工場の見学や、異人を珍しがっった山形の住民にゾロゾロ付け回されて迷惑だった話などが新たに収録されている。ダメだろ山形市民。

ありがたいことに原文もお手軽に読むことができる。読みやすい文体だ。
無限Amazonならタダ、買っても280円。

追記

… と奇しくもここまで書いたところでこれまた面白い本が出た。

バードの通訳兼ガイドとして同行した伊藤こと鶴吉に焦点を当てた歴史小説である。
伊藤が通訳ガイドになるまで、そしてバードが旅行家になるまでの、原作では語られていない物語を再構築した作品である。たいへん面白く読んだのでこちらもおすすめしたい。

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