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ブロンプトンで釜石線で輪行して遠野郊外を走った話、及び2度パンクした件 (2023. 7)

Introduction

釜石にたまに所用があって出向く。しかし宿は遠野や住田に取ってクルマで小一時間かけて通っていた。わたしは岩手県にもっぱら秘境感や田園風情を求めて訪れるが、その点は釜石に泊まってもあまり面白みがないからだ。遠野や住田だと里山や渓流にことかかないのでその点は楽しい。

しかし今回はどうしたことか遠野も住田も宿が取れなかった。なので仕方なく釜石に泊まって釜石の所用を済ますこととなった。それが普通なのだけど。
梅雨の只中ではあるが、さいわいこの日は降らない予報だった。所用は昼前に終わるので午後はサイクリングに出かけたい。いろいろ調べたがやはり遠野方面が楽しそうだ。
駅直結のJR系列ホテル、フォルクローロ釜石に泊まったので、部屋の窓から釜石線のプラットホームが見える(三陸鉄道も見える)。行き交うキハ100を見ていたらあれで輪行してみたいと思ったのだった。

見えるディーゼルカーはあまちゃんでおなじみの三陸鉄道

そこで釜石から乗車し、沿岸部と遠野の盆地を隔てる仙人峠を越えた次の駅である足ヶ瀬駅で下車して走り出し、高速道沿いの県道づに遠野の町までサイクリングする。しかるのち農道をたどって釜石線の青笹か岩手上郷から輪行で戻って来ようというのがこの日の計画であった。予定では30km台の走行だ。

足ヶ瀬まで輪行

花巻行きのキハ100は一両のみの単行だった。
車内は観光客や乗り鉄風おっさんでそれなりの乗車率で、われわれは空いていた最後のボックス席に座ることが出来た。
震災後に新しく開通した釜石道は全長4kmのトンネルで山をぶち抜いてショートカットするが、鉄道と旧国道は旧釜石鉱山に立ち寄る形で川沿いの山中を大きく迂回して行く。そのため足ヶ瀬までは直線距離では近そうに見えても40分以上を要するのだった。

降りた足ヶ瀬駅は小さな集落のはずれにあるこれまた小さな無人駅。
タイヤに空気を入れて圧を上げて走り出す。

足ヶ瀬駅

いきなりパンク

するとあろうことか、走り出して500mばかりでいきなり前輪がパンクした。なんてこったい。
ブロンプトンのパンクは購入以来7年で4回目ぐらいだが、前輪だからそれほど大変ではない。村外れの道端で蚊に刺されながらチューブを交換、ふたたび走り出す。

気を取り直してサイクリング

川沿いの谷あいを走る道は詩情溢れる農村風景が続いている。やはり遠野周辺はいい。

釜石線の風景

道はときに釜石線の線路と並行したり、時に踏切で渡ったりする。そのたびに感じたのだが、釜石線の線路というのは、令和の世にあって単線かつ非電化(線路沿いの通信線すらない)であり、加えて沿線の里山風景が加わって、まさに理想的な「古きよき時代の鉄道風景」を現出させているのだ。それはこの路線の前身であり、「銀河鉄道の夜」のモチーフにもなった岩手軽便鉄道の時代から変わらぬ構図であるのかも知れない。
今年6月までの週末、この路線には週末にSLの牽く観光列車が運行されており、あまたの撮り鉄が押し寄せたようだが、彼らがこの風景の中を走るSL列車に魅了されるのも道理であると感じたのだった。

ちなみにこの地域のGoogleストリートビューはSL運転の日に撮影されたようで、沿線には農村風景の中に撮り鉄のものと思われるクルマが多数停められているのが見られる。とりわけこれなど、イカニモな御仁が写っており、しかもグーグルカーに歩み寄って何やら手を出しているのが確認でき、ヤバみを感じる。

平倉駅周辺の集落。

もと米屋
酒蔵!と思ったら閉業中だった
残されていた古いポンプ。水は出ない

またもパンク

その先は釜石線と岐れて高速道に並行する静かな道を辿る。
今日唯一の登り区間で山の中気分を味わう。
峠に着いてダウンヒルののち、住田から来る県道に合流する。そのあたりだった。
前輪が、またパンクした。
なんてこった。
度重なるパンク、タイヤに何か刺さったままだったのか、あるいはリム側に何か原因があるのかと思い調べたが、何もない(この時は後に記す原因には気づかなかった)。一本しか持参しなかった替えチューブを使ってしまった上(2人で走る時は各人一本ずつ持って行くのだが、この日に限って忘れた)、穴を塞ぐ修理キットは持って来なかったので万事休すだ。嗚呼。
当初はタクシーを呼んで最寄り駅までエスケープを考えたが、あまりに悔しいので策を練る。
2度目のパンクは空気を入れても全部抜けてしまうほどで完全にダメだが、1度目のは空気を入れるとゆっくり抜けていく程度でまだマシだ。そこで1本目のチューブに入れ替えて、しばらく走っては抜けたエアを入れ、また走って入れ、を繰り返してだましだまし自走して最寄り駅を目指すことにした。

さっき爽快に下ってきたばかりの坂を押してまた登る。ここで漕いで荷重が掛かると空気が抜けるので押すしかない。
さっき登ってきた坂を下っていく。ここはなんとか自走で行けた。そこから最寄りの岩手上郷駅まで2kmちょっと、入れては乗りを繰り返していくが、だんだん抜ける時間が短くなってきてついには自走不能となり、最後の1kmぐらいは完全に押しのみになった。妻氏は先に駅に向かわせて輪行の用意をさせる。
釜石行き列車到着数分前に岩手上郷駅に辿り着く。やれやれひどい目にあった。
結局この日の走行は15kmあまりで終了を余儀なくされたのだった。

輪行で釜石へ

乗り込んだ釜石行きはこれまた単行。車内は学校帰りの高校生が乗っており、ボックス席は埋まるぐらいだったのでわれわれは前寄りのロングシートに陣取った。正面の窓から前面展望が楽しめたのでこれはこれでいいものだった。
高校生たちは近郊の集落から遠野の学校に通っているからすぐ降りるだろうと思っていたらそうでもない。結局釜石まで乗ったままだった。釜石から遠野まで、冬でも毎日山を越えてダイナミック通学する少年少女がいることにわたしはおどろいたのだった。

パンクの原因

後日改めて修理してみたところ、2度のパンクの原因が判明した。
タイヤ(シュワルベマラソン)の内側に、破断したワイヤビードの断端が突き出ているではないか。これがチューブに触れて穴が空いたのだった。

ワイヤービードの強靭さ故の耐パンク性能を売りにしているマラソンタイヤだが、内側から刺してちゃしょうがない。
おそらくは経年劣化のせいであろうが、こんなこともあるのだなあとおどろくとともに、今後はチューブは複数、パンク修理セットも持参することと肝に銘じたのであった。

ふろく:釜石の街とラガーラーメンのこと

釜石には震災前にも何度か所用で訪れており、その時は市街中心部のホテルに滞在したものだった。今回中心街を流してみたところ、この十数年間忘れていた街の記憶がよみがえってきた。
釜石中心部は、建物自体は比較的無事だったが、浸水の被害で多くの店が廃業した。
名前は忘れたが、重厚な内装の喫茶店があったのを思い出した。この店も現存しない。
あとホテル近くの食堂で「ラガーメン」という名のラーメンを好んで食したのも思い出した。たしか「ときわ」という名の店だったように思うが、どこにあったか、今もあるのかはわからなかった。
ラガーメンはもちろんラグビーの街釜石に因んでの名だが、辛味噌スープに肉野菜炒めと卵を乗せた、まさにガチムチのラガー兄貴が好んで食べそうなスタミナ仕様だったことを覚えている。
しかし今回スーパーで「ラガーラーメン」という生麺+スープのセットが売られているのを発見した。発売元は浜っこ大将という釜石の会社でときわとは無関係のようだが、つい買ってみた。
作って食してみれば、あの辛味噌味と腰の強い麺はあのラガーメンを偲ばせるものだった。ときわのメニューがその後ラガーラーメンの名で釜石名物になっているのだろうか。

翌日所用を終え、クルマで釜石をあとにした。
釜石道に乗ればすぐの道程だが、帰りは釜石線に沿って仙人峠を越える国道283号旧道を走ってみた。
最後に仙人峠トンネル手前(便宜上仙人峠とされる)からの眺望を挙げてこの稿の締めとする。

仙人峠を自転車で、と思う向きもあろうが、峠までは交通も少なくまさに仙境といったヒルクライムが楽しめるが、仙人トンネルは古い規格でクルマで走っていても怖いぐらいの狭さ、かつ路肩スペースゼロなのでおすすめしない。
ちなみにかの酷道廃道研究家のヨッキれん氏が、自転車で仙人トンネル含めた旧道(高速道開通前)を走破している↓。


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