見出し画像

(音楽noteと合併しまして) フランソワーズ・アルディを偲ぶ

これまでこことは別に、更新頻度激少かつフォロー1桁の限界過疎アカウントで音楽の話をしてたのですが、ログインの切り替えがめんどくさいし、こっちに統合することにしました。これまでの音楽関係の記事と合わせて今後はマガジン「夢で鳴ってた音楽」にほうりこんでいきます。

まずはこちらでの1回目。

フランスの歌手、フランソワーズ・アルディが亡くなった。享年80歳。
(仏語では訃報でquitter la terre=地上を去るという表現がよく用いられる。すこぶる詩的だ)。

わが国では1960年代のフレンチポップのアイコンとして人気だった人。訃報でももっぱら1968年の「さよならを教えて」の人として報じられている。森昌子を「せんせい」で語るようなものだ。知らんけど。
当時の楽曲は有名だが、音楽的にはそんなにおもしろいものでもない、とわたしは思う。
わたしはむしろ、彼女の70年代後半以降、カッコいいフレンチおばさんになってからのレコードを愛聴してきた。、フレンチAORと呼ぶべきしっとりとしたスタイルは、昨今評判のシティポップにも通じるものがある。

時の旅人たちへ(1983)

いちばん好きなアルバムは1983年「Quelqu'un qui s'en va」。邦題「時の旅人たち」

プロデュースかつ大半の曲を作曲したガブリエル・ヤレド自身が弾くピアノとエレピが翳りのある響きはパリの街に降る雨のような情緒を感じさせる。
中でも「マズルカ」は永遠の名曲だ。
「Ce petit rien」はセルジュ・ゲンスブールのカヴァー。ちなみにジャケ写のはにかんだような表情を捉えた写真を撮ったのもゲンスブールである。

山羊座の女(1979) ジン・トニック(1980)

次に好きなのは、フレンチ・ソウル / R&Bの親方、ミシェル・ジョナスが絡んだ2枚(わたしはジョナスのアルバム全部持ってるほどのジョナスファンである)。
それまでの70年代の作品はどちらかというとフォークロック的な雰囲気だったが、ここでは当時英米を席巻していたAORやクロスオーバーのスタイルを取り入れ、これまでの彼女のイメージを覆す作品となった。元アイドルから大人の歌手への転身は、若い世代にもアピールし、大ヒットとなった。
プロデュースと大半の作曲は「時の旅人…」と同じ G. ヤレドだが、全体的にジョナスの仕切りを強く感じさせるジャジー&ファンキーなつくりになっており、ジョナスのアクの強さが印象的だ。「裏ジョナス」といってもいい出来である。

デカラージュ(1988)

「時の旅人たち」から6年のブランクを経た88年の「デカラージュ」。
当時の欧州で人気だった、シンセのオーケストレーションが包み込むようなポップスだがいい。
当時日本はフランスものはオシャレとしてなんでも日本盤が出ていて、貧乏学生だった当時のわたしもこれもレンタルで聴けてありがたいことであった。
彼女はこのアルバム制作中に「今後は作詞に専念したいから歌手としてはこれが最後」と引退宣言していた。

ル・ダンジェ(1996)

その後8年後を経てカムバック。当時一世を風靡したUKギターポップに触発された作品で、年輪とはうらはらに若者の最先端のスタイルをバックに歌うロックなフランソワーズも素敵だった。

晩年はガンとの闘病でつらい日々を過ごし、その結果片耳を失聴して歌手生命を絶たれたり、安楽死の法制化を求めてマクロン大統領に直訴したりしていろいろ気の毒だった。

Quelqu'un qui s'en va = someone who goes away 去り行く誰か、の意であるとともに、s'en va は「逝く」という意味もある。いまやフランソワーズその人がそれになってしまった。

ご冥福をお祈りする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?