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割れた茶壺 (2024年4月の日記)

あれは高校生ぐらいの時だっけ。
結婚式の引出物かなにかで我が家に舞い込んできた MARIAGE FRERES の MARCO POLO に脳天かち割られるほどの衝撃を受けてからというもの、お茶にハマり続けている。
丁寧に紅茶を淹れてそれを舌に触れさせた瞬間、朧げな印象派の絵画のような、しかしオリエンタル調でどぎつい彩色のイメージが脳裏に浮かんだあの時を皮切りに、紅茶のジャケ買いを重ねながら自分の嗜好の方向性を探っていったり、時には緑茶・ハーブティー・プーアール茶・ルイボスティーなどに浮気してみたり、はたまた見かけた野草茶を片っ端から試したりしつつ、今現在は中国茶、特に青茶(烏龍茶)の世界を探検している最中。
そしてこうやって文字に起こしてみると、初期衝動のままこんな所まで来てしまったな、って思った。
今、ふと興味が湧いて心の中をパカッと開けてみると、何かの琴線に触れて涙がこぼれてしまいそうになるほど、今でも初期衝動はギランギランに妖艶な輝きを放ちまくっていた。
俺はまだ、この世界の浅瀬にしか到達していないんだろうなって思った。

で、中国茶。
茶葉の魅力もさることながら、茶器の魅力もかなりのもので、かつ独特。
茶盤(ちゃばん)という名の、焼肉の鉄板みたいな細長い穴が空いている台を使って、その下に湯や茶を流しながら淹れたり。
茶杯(ちゃはい)という名の、ショットグラスみたいな容量の器で何煎も飲むことで、香りの変化を楽しんだり。
そんな茶杯の小ささに従って、中国茶版ティーポットである茶壷(ちゃふー)は、手のひらにちょこんと乗ってしまうような可愛げのある姿であったり。
地域によっては茶壷を使わず、蓋碗(がいわん)という茶器だけで淹れちゃうこともあるみたい。
蓋碗は、茶碗蒸しの器みたい、って表現するのが一番近いだろうか。
茶器の素材にも、磁器・ガラス・紫砂(中国で採れる陶土)とか色々あって、どれもデザインが洗練されているからコレクションしたくなってしまう。
よくない世界だw

そんな世界を探検中の俺は去年、「一度買ったら一生ものやしな」「やっぱいい道具は世界を拡げてくれるよな」とかいう理由を並べ立て、数千円する紫砂の茶壷を買ってみた。
紫砂を原料とする茶壷はかなり上位のものとされているのに加え、養壷(やんふー)といって長年使い込むことで、より良い味や香りで淹れられるように育て養う文化もあったりする。
それがだよ。
それが、お迎えして半年くらいしか経っていない頃に、パキンと大きく割れてしまった。
それは茶を楽しんだ後、茶壷を軽くお湯で流し、水気を切ろうと茶壷を縦に大きく振っていた時のこと。
モーションが些と大きすぎたのか、振り下ろした茶壷はシンクに激突し、無惨に散ってしまった。
「うわああああああああああああああああああああ!!!!!!」とその瞬間はめちゃくちゃ感情が乱れまくりつつも、少し経ってから冷静になってみると、「そういえばあの時考え事しとって、手許の茶壷に全然気が回ってなかったよな。そりゃシンクにぶつかるよな。」という結論に。
これを俺なりに解釈してみると、「目の前の所作に集中せんかいこのバカちんが!って俺の人生がキレちゃってるわ。」ということになる。
この一件以降、飯を次々と掻き込まずに一口一口を楽しむようになったり、考え事のマルチタスクを辞めてみたり、道具の扱い方がより一層丁寧になったり、みたいな変化が次々と自分の中で湧き起こっていて、これはいい感じで階段を一歩登ったぞと思っているんだけど。
それにしても、代償がでかすぎるよねー。


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