介護とナイトクラブは最も遠い場所

「介護は、やったことある人にしか、わからない」と母は言う。

「わからない」というのは、体力的な意味でも精神的な意味でも、あらゆる感情と覚悟と疲れとかけがえのない限りある時間の希望と絶望を、孤独に乗り切ることを指すのだと思う。

祖母の介護は主に私の母がやっていて、私は少ししか手伝えていないので、完全には大変さはわからない。けれど、少しわかる。

最初は、できないことがどんどん増えていくことを、こちらの都合で感傷的に思った瞬間などもあったが、そんなことを言っている暇はなく、いつも一分一秒が生死を分ける体力勝負。最初はショックだったことにもどんどん慣れていくし、とにかく段取りよく効率よく動くことに集中していく時間になる。そして、祖母自身をちゃんと見つめること。

育児中の主婦のノイローゼと、家の中の孤独という意味では同じだろうが、押せば弾いて戻ってくるような生命力の若い命と、確実に死に向かっている押しても手応えのないやわらかな命とでは、またこちらの孤独の種類も違う。

子供のいない私でも育児中の孤独は想像したいと思うし、必要があれば誰かの力になりたいと思うし、それぞれが、想像力を働かせることや色々な立場の人がいると「知る」ことで全てが全然違う。今、昨今の状況により家の中にいなくてはならない人たちが、密室で自分を追い詰めたり苦しんでいないことを切に願う。ウィルスだけでなく、人の心にも風通しが必要だ。

話が逸れたが、犬の世話とおばあちゃんの世話を両方終わらせたら飲みに行って良い、という日がいつだかあった。

食事と寝る前のトイレを手伝い、ベッドに入って眠る祖母を見届けたあと、私は小走りで出かけ、一時間後には、お酒を飲んだり踊ったりするような場所にいた。心底楽しかった。自由を感じた。

一人暮らしでさ、いつ出かけたって、いつ帰ってきたっていい人には、この気持ちはわかんないよ、と思った。

介護もナイトクラブもどっちも現実世界だ、と思った。けどものすごく正反対にある場所だと感じた。どっちも現実だから、どっちも知ってる私でいたい、と静かに思った。


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